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ストーリー

ゴッホ 真実の手紙

世界的に有名な画家であると同時に、精神を病んだ人物としても知られるビンセント・バン・ゴッホ。この番組はゴッホが残した多くの手紙をもとに、オランダでの若き日々からフランスで命を絶つまでの彼の人生に追っていくドキュメンタリーである。画家になる前に画商になったことや、牧師の道を目指したこと、数々の実らぬ恋、そして父親との確執など、数多くのエピソードを紹介する。ゴッホやその家族、ポール・ゴーギャンらに扮(ふん)した俳優が語るせりふは、いずれも実際に手紙に残されている言葉ばかり。中でも、金銭的にゴッホを支援していた弟テオとのやりとりが胸を打つ。
波乱に富んだゴッホの生きざまに迫る。

ビンセント・バン・ゴッホは、牧師の父親のもと、厳格なプロテスタントの家庭で育った。学校で絵の基礎を学び、16歳で画商として働き始める。3年後、弟のテオも同じ道をたどり、ここから2人の文通が始まった。
1873年5月、ロンドンに転勤したゴッホは、父親と同じ牧師になろうと聖書の勉強に没頭したものの、そのために画商の仕事を失ってしまう。牧師になるための第1歩として教師になったゴッホは、ロンドンの日曜学校で授業を持ち、初めての説教も行った。
しかしオランダに戻ったゴッホは、牧師の道を挫折。伝道師になるしかなくなった。そこでベルギーの炭坑に赴き伝道活動を試みるが、半年の試用期間が過ぎても資格の取得にはいたらなかった。一方、テオは炭坑労働者を描いた兄のスケッチに才能を認め、本格的に絵に取り組むよう勧める。天職を得たゴッホは、ミレーの模写などを始める。ちょうどそのころ、彼はいとこの未亡人に一方的に思いを寄せて家族と対立。父親と口論になって家を飛び出し、ハーグでアトリエを構えたが、今度は娼婦のシーンと深い仲に。金銭的な援助をしていたテオもさすがに怒り、兄への送金を止めた。失意のゴッホはオランダの農村に移る。しかし孤独に耐えられず、再び両親と同居を始めた。ジャガイモを食べる人々を描いた傑作はこの時期のものだが、テオや画家仲間からは酷評された。
1886年2月、ゴッホはパリでテオと暮らし始める。レンブラントの影響もあり、自画像を描き始め、作品は次第に軽やかで、色彩豊かになっていった。日本の浮世絵に傾倒したのもこの時期である。2年後、ゴッホは南フランスのアルルで一軒家を借りる。しかし、またも孤独に耐えかね、画家仲間のポール・ゴーギャンを呼びよせた。当初はいい影響を受けていたが、あるときゴーギャンと口論したあげく、自らの耳を切り落とすという事件を起こす。この時期、ゴッホは多くの作品を手がけながら、何度も自殺を図っている。
1890年5月、ゴッホはフランス北部に移り住んだ。だが、テオに最後の手紙をしたためた4日後、銃で自分の胸を撃つ。即死はしなかったが、テオに見守られながら、2日後に37歳の若さでこの世を去った。そしてテオもまた、半年後には兄を追うようにこの世を去っている。兄弟は今、同じ墓地に並んで葬られている。