BBC地球伝説

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ストーリー

プラネット・ツアー
―地球が文明を作った― 2 水の旅

私たちの暮らす地球は、想像をはるかに超えた力に満ちている。人類の歴史に影響を与えたこの偉大な力を、迫力ある映像とともに検証するシリーズ。第2回のテーマは"水"。偉大な文明の裏側へと案内する。
サハラ砂漠に残された動物たちの岩壁画。古代エジプトの作物の収穫量を予測したナイル川の水位測定装置。地下用水路の建設によって繁栄したジェルマの町の遺跡。世界一雨の多い土地で生まれた「生きた橋」。インドの人々の暮らしを支える階段式井戸。そしてクメール文明の繁栄の象徴、アンコール遺跡。これらは水を確保しようと工夫を重ねてきた、人類のたゆまぬ努力の痕跡だ。それは時を越えて私たちにある真実を伝えている――人類の運命は、水と密接に関わっている。現代文明の存亡もまた、限られた水とどう付き合っていくかにかかっているのだ。

今回は、人類と水との複雑な関係と、水が人類の発展に及ぼした影響に焦点を当てる。
最初に訪れるのはサハラ砂漠。かつてこの地は豊かな水に恵まれていた。しかし、乾燥が始まると、人々は水を求めて去っていった。次に訪ねたのはアイスランドの氷河。1万3000年前、北半球の大部分は氷に覆われ、その影響で中東では厳しい干ばつが続いた。人々は水の供給が安定した川の近くに定住し、作物を育てるようになる。これが文明の始まりだ。ナイル川沿いでは、川が運んでくる良質のミネラルに恵まれ、古代エジプト文明が栄えた。川のほかにも水の供給源は存在する。約2500年前、リビアのサハラ砂漠に住んだガラマンテス人は、地下水を発見して繁栄した。さらに、人類は環境に適応することによって、雨も利用するようになった。
インドの人々はモンスーンに適応してきたが、イギリス統治時代、モンスーンを無視した政策により、深刻な食糧不足が発生した。カンボジアでは、クメール人がモンスーンの増水を生かした灌漑(かんがい)用水路を建設したが、人口の増加と共にこのシステムも限界を迎える。
そして現代、私たちは水をコントロールする技術を手に入れた。しかし、水は限りある資源だという事実に変わりはない。人類の未来は、限られた水とどう付き合っていくかにかかっている。