BS朝日 ザ・ドキュメンタリー

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どこへいく?新国立競技場 ~東京オリンピックをつくった男たち~

2015年12月、乱高下した建設費問題で白紙撤回されていた新国立競技場建設計画が新しいデザイン案に決定、いよいよ新国立競技場の建設が始まる。1940年幻の東京オリンピックに関わった建築家、1964年東京オリンピックをつくった建築家たちは、新デザインにどんな感想を持つのだろうか…。
1940年の東京オリンピック開催が決まった時、誰もが明治神宮外苑地区がメイン会場だと考えていた。その中でただ1人反対したのが、東大安田講堂を設計した建築家・岸田日出刀だ。ベルリンオリンピックを視察した岸田は自ら写真を撮り、帰国後はパンフレットを作り、反対を唱えた。そして代替案として、陸軍が所有する代々木練兵場をメイン会場の候補にあげる。この時、岸田37歳。陸軍の猛反発を受けるも臆することなく、自らの主張を訴えた。結局、駒沢ゴルフ場だった場所がメイン会場の候補となるが、日中戦争勃発で開催中止となった。
1958年、1964年の東京オリンピック開催が決定。岸田は、オリンピック施設の建設責任者となった。当時60歳。建築界のドンと呼ばれた男は、因縁の代々木に自分のまな弟子・丹下健三を任命し、丹下を世界の舞台に押し上げた。
神宮外苑地区には、1958年3月に国立競技場が完成していた。設計は、建設省の角田栄(しげる)。アジア大会のために設計された会場だが、周囲の景観に配慮したものだった。しかし、東京オリンピック開催決定で、この場所をメイン会場とするために拡張工事が行われた。設計はもちろん角田。角田も岸田同様、この地区の景観の大切さを認識していた。苦悩する角田はひとつのアイデアを考えついた。