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PART2 橋幸夫・浅丘ルリ子

浅丘ルリ子

浅丘はこれまでひばりとの交遊について多く語ることはなかったが、今回、知られざる秘話を明かした。3歳年上のひばりとの出会いは石原裕次郎邸で開かれたパーティー。
以来、歌手と女優という枠を超え、女性同士の絆を深めた。互いの家に行き来し、ひばりはよく浅丘の家に泊ったという。1983年(昭和58年)、浅丘の実家で行われた新年会。
ひばりは浅丘の知人や親戚に交じって夜遅くまでゲームに興じ、その夜は泊ることになった。浅丘は自分のベッドをひばりに提供、自らはその横に布団を敷き寝ることにした。
話し足りないのかひばりは寝ている浅丘の枕元に来て起こそうとした。
だが浅丘は起きない。すると、ひばりは浅丘の小指を・・・。
その他、東京ドーム公演の楽屋でのひばりのようす。浅丘の妹のような存在だった大原麗子と3人で横浜の中華街に出かけた時のこと。さらに、ひばりからもらった指輪やアクセサリーを一つにしたペンダントも紹介する。
私の好きなひばりソングは「涙の紅ばら」「初夢道中」「旅の角兵衛獅子」「おさげとまきげ」「春のサンバ」

橋 幸夫

ひばりと橋は家族ぐるみの交友関係で「お嬢」「幸夫」と呼び合った。コロムビアとビクターと所属会社は違うものの数多くのテレビ番組でも共演。ひばりより6歳下の橋はあらゆる芸を完璧にこなすひばりに、年齢差以上の貫禄の違いを痛感したという。
さらに、うらやましいと思ったのはひばりと母である喜美枝さんの関係。プロデューサーとして、ひばりを守るだけでなく、時には苦言を呈することもあった喜美枝さん。男性歌手としてトップの座にいた橋は、間近に見た2人の姿に信頼出来るスタッフの必要性を感じた。
忘れられない思い出は1969年(昭和44年)の映画「ひばり・橋の花と喧嘩」での共演。相手役に抜擢してくれたのは喜美枝さんであった。1週間に及ぶロケで橋はひばり母子と酒を飲みかわし、芸について話し合った。ひばり38歳、橋32歳、テレビ朝日の「にっぽんの歌」で共演した際の貴重映像や、ひばりからプレゼントされた座右の銘が書かれた色紙も紹介。
私の好きなひばりソングは「川の流れのように」「哀愁波止場」「真赤な太陽」「悲しい酒」「越後獅子の唄」