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#58

佐伯勇

写真提供:近畿日本鉄道

来る5月26日より開かれる主要7カ国首脳会議(G7サミット)は、三重県志摩市の賢島で開催される。この伊勢志摩サミットの会場となるのは、1951年開業の「志摩観光ホテル」。昭和天皇をはじめ数多くの要人が宿泊したこのホテルは、戦後の混乱期に48歳で近畿日本鉄道(近鉄)の社長となった実業家、佐伯勇によって設立された。まだ当時の日本人は食べるので精一杯だった時代、ホテル開業に世間はこれを佐伯の道楽と見た。しかし、佐伯はもっと遠くの未来を見ていた。20年、30年後の日本を…。伊勢志摩を一大観光地として開発し、近鉄をわが国最大の私鉄に育てあげた佐伯勇とは、一体どんな人物なのか?
「便所もない電車を、すし詰めにして走らすのでは能がない。座って快適に行くのが輸送の本質や」。昭和33年、世界初の2階建て電車「ビスタカー」誕生の背景にはそうした思いがあった。冷房完備、シートラジオ、車内電話、全てが日本初だった。
伊勢湾台風で壊滅的な被害となった名古屋線を、わずか9日間で復旧させた。「独裁はするが、独断はしない」、「策に三策なかるべからず」。独断専行を嫌った佐伯は、さまざまな事態を想定し、常に3つの代案を用意せよと社員に求めた。それは、豪華観光列車「しまかぜ」、日本一の高層ビル「あべのハルカス」などの遺産を生んでゆく。
今回は、佐伯が現役社長時代に撮影された数々の秘蔵映像を初公開。またテレビ番組で残された佐伯の肉声から、経営者・佐伯勇の人物像を浮き彫りにする。