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エンタメ・音楽
佐賀県佐賀市 佐賀の湯処こもれび
#171
サウナを愛でたい
2024年4月1日(月)よる10:30~10:54
三菱鉛筆 後篇
#48
ウェルビーイング、みつけた
2024年4月1日(月)よる8:54~9:00
スポーツ
ホウライカントリー倶楽部(前編)
#115
極上!ゴルフ場探訪
2024年4月1日(月)よる10:00~10:30
シーズン14 1回戦 マッチ4
女子ゴルフペアマッチ選手権
2024年4月1日(月)よる9:00~10:00
報道・ドキュメンタリー
地球クライシス ~気候危機 転換への道しるべ~生態系の異変!最前線&再エネの未来 第9弾
地球クライシス ~気候危機 転換への道しるべ~ 生態系の異変!最前線&再エネの未来 第9弾
2024年 3月31日(日)よる9:00~11:00
「VR GEISHA GAMES」SXSW SYDNEY 2023
日本伝統の「花街文化」 VR体験を通じて世界へ発信!
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BS朝日の人気番組からLINEスタンプを発売中!
「フェラーリ特集回」全28話を配信
最新話以外の「カーグラフィックTV」を配信で視聴できるのは「U-NEXT」だけ!
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ゲスト×インタビュアー 榊原郁恵(タレント)× 宮嶋泰子(テレビ朝日スポーツコメンテーター)
1959年、神奈川県川崎市生まれ。父、母、姉との4人暮らしの、ごく平凡なサラリーマン家庭だった。意外にも引っ込み思案な性格だったというが、小学生の時に映画「サウンド・オブ・ミュージック」を見て、女優という職業に憧れを抱く。転機が訪れたのは、高校2年生の時。今や石原さとみや深田恭子を輩出したことで知られるホリプロスカウトキャラバンで、1万5000人の応募の中から、初代グランプリの座を勝ち取った。その時の思いと、オーディションの意外な舞台裏を明かす。 それからわずか4カ月、「私の先生」でデビュー。山口百恵、森昌子、石川さゆりの3人娘を抱えるトップアイドル集団・ホリプロからのデビューに、世間の注目は集まった。キャッチコピーは「1億円のシンデレラ」。まさに“シンデレラ”のように、普通の少女の運命が一夜にしてガラリと変わった瞬間だった。しかし、そこには戸惑いもあったという。 1978年、デビュー2年目にリリースした「夏のお嬢さん」が大ヒット。NHK紅白歌合戦初出場も決め、ブロマイドの売り上げも1位を記録。天真らんまんな笑顔で、お茶の間の人気者となった。そんな中、思わぬ悲劇が榊原を襲う。父・善明さんが、56歳の若さで他界したのだ。しかし、悲しみに暮れている暇はなかった。この時、ホリプロは芸能界を引退した山口百恵の後釜として、榊原に全てを託していた。そこで挑戦したのがミュージカル「ピーターパン」。榊原はその大役を務め、76万人もの観客を動員した。その時、榊原22歳、熱い情熱があったからこそ乗り越えられた、と当時を振り返る。 1987年、28歳の時、ドラマの共演で出会った2歳年下の俳優・渡辺徹と結婚。今年結婚30年、2人の息子にも恵まれ、長男の渡辺裕太は俳優としても活躍している。子育てを通じて、榊原が学んだ大切なこととは? また、榊原は自分を見つめるため、2008年からあることに取り組んでいる。それは、農業。地元・神奈川県厚木市の畑300坪を知人と借り、本格的に野菜を育てている。なぜ、農業を選んだのか? 農業に携わり、得た思いとは? デビューから今年で40年、58歳になった榊原だが、今もテレビをつければ昔と変わらない“笑顔の郁恵ちゃん”がいる。しかし、榊原は近年、雑誌の記事でこんなことをつづっている。「ここ(芸能界)は、自分の居場所ではないのではないか…、ずっと戸惑いを感じていた。自分を見つけられたのは、ようやく今になってから…」と。榊原は一体何を思い、ここまで歩んできたのか? インタビューの舞台は、東京・富ヶ谷の榊原行きつけの洋食料理店。リラックスした雰囲気の中、ありのままの榊原郁恵に、テレビ朝日スポーツコメンテーターの宮嶋泰子が鋭く切り込む!
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ゲスト×インタビュアー
榊原郁恵(タレント)× 宮嶋泰子(テレビ朝日スポーツコメンテーター)
1959年、神奈川県川崎市生まれ。父、母、姉との4人暮らしの、ごく平凡なサラリーマン家庭だった。意外にも引っ込み思案な性格だったというが、小学生の時に映画「サウンド・オブ・ミュージック」を見て、女優という職業に憧れを抱く。転機が訪れたのは、高校2年生の時。今や石原さとみや深田恭子を輩出したことで知られるホリプロスカウトキャラバンで、1万5000人の応募の中から、初代グランプリの座を勝ち取った。その時の思いと、オーディションの意外な舞台裏を明かす。
それからわずか4カ月、「私の先生」でデビュー。山口百恵、森昌子、石川さゆりの3人娘を抱えるトップアイドル集団・ホリプロからのデビューに、世間の注目は集まった。キャッチコピーは「1億円のシンデレラ」。まさに“シンデレラ”のように、普通の少女の運命が一夜にしてガラリと変わった瞬間だった。しかし、そこには戸惑いもあったという。
1978年、デビュー2年目にリリースした「夏のお嬢さん」が大ヒット。NHK紅白歌合戦初出場も決め、ブロマイドの売り上げも1位を記録。天真らんまんな笑顔で、お茶の間の人気者となった。そんな中、思わぬ悲劇が榊原を襲う。父・善明さんが、56歳の若さで他界したのだ。しかし、悲しみに暮れている暇はなかった。この時、ホリプロは芸能界を引退した山口百恵の後釜として、榊原に全てを託していた。そこで挑戦したのがミュージカル「ピーターパン」。榊原はその大役を務め、76万人もの観客を動員した。その時、榊原22歳、熱い情熱があったからこそ乗り越えられた、と当時を振り返る。
1987年、28歳の時、ドラマの共演で出会った2歳年下の俳優・渡辺徹と結婚。今年結婚30年、2人の息子にも恵まれ、長男の渡辺裕太は俳優としても活躍している。子育てを通じて、榊原が学んだ大切なこととは?
また、榊原は自分を見つめるため、2008年からあることに取り組んでいる。それは、農業。地元・神奈川県厚木市の畑300坪を知人と借り、本格的に野菜を育てている。なぜ、農業を選んだのか? 農業に携わり、得た思いとは?
デビューから今年で40年、58歳になった榊原だが、今もテレビをつければ昔と変わらない“笑顔の郁恵ちゃん”がいる。しかし、榊原は近年、雑誌の記事でこんなことをつづっている。「ここ(芸能界)は、自分の居場所ではないのではないか…、ずっと戸惑いを感じていた。自分を見つけられたのは、ようやく今になってから…」と。榊原は一体何を思い、ここまで歩んできたのか?
インタビューの舞台は、東京・富ヶ谷の榊原行きつけの洋食料理店。リラックスした雰囲気の中、ありのままの榊原郁恵に、テレビ朝日スポーツコメンテーターの宮嶋泰子が鋭く切り込む!