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#365

石川誠(医療法人社団輝生会理事長)

ゲスト×インタビュアー
石川誠(医療法人社団輝生会理事長)× 吉永みち子(作家)

「手術をしたら医師の仕事は終わり」という考え方が常識だった40年前、手術をしても日常生活が送れない患者の厳しい現実に直面した若き日の石川は、リハビリの重要性に目を向けるようになる。その後脳外科を辞め、リハビリの世界に飛び込んだ石川は、手術後の素早いリハビリこそが患者をもとの生活に戻す最善の治療だと考え、「寝たきり患者を作らせない」を合言葉に、病院の意識改革やシステム構築に尽力してきた。しかし当初、リハビリは温泉治療やマッサージに近く、医師の仕事どころか看護師の仕事とすら認知されていなかった。また、医学界では“花形”といわれた脳外科医からリハビリ医への転身は、当然周囲の理解を得られなかった。あまりの奇抜な転身に「奇人変人扱いだった」と、当時を振り返る。
さらに石川は、付添人が行っていた仕事を看護師に担当させたり、医師のことを「先生」と呼ばせないなど…さまざまな改革案を打ち出した。そんな石川を待ち受けていたのは、周囲からの批判や抵抗だった。大半の看護師が出勤しないという集団ボイコットまであったという。しかし、リハビリの重要性が認識されるにつれて次第に環境も整い、世間や医療界、国の無理解までも変え続け、現代の最新リハビリまで進化を遂げた。
次に石川が取り組んだのは、“リハビリ砂漠”とまで呼ばれていた、東京のリハビリ医療だった。今や石川は、東京と千葉に5カ所の医療施設を持つ医療法人社団 輝生会の理事長。中でも船橋にある「船橋市立リハビリテーション病院」は、最新の設備が整う。患者を家に戻し、もとのように生活させたいと願う石川の理念がつまった病院施設だ。広大な療法室に和室や台所、洗濯機まである理由とは? 今回のインタビュアー作家・吉永みち子に、その施設や理念を石川自らが案内し、説明して回る。「今、健康な人が気を付けたら良いことは?」という吉永の質問に、第一人者が答えた健康の秘けつとは?
さまざまな障壁を乗り越えて、日本のリハビリ界を改革してきた石川。彼の人生を振り返ると、日本リハビリ界の軌跡が見えてくる。それを成し遂げたのは石川の発想力と実現力…。自身も健康に不安を持ち「リハビリは他人事ではない」という吉永が、彼の独創性を鋭くひもといていく。