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#368

安倍圭子(マリンバ奏者)

ゲスト×インタビュアー
安倍圭子(マリンバ奏者)× 宮嶋泰子(テレビ朝日スポーツコメンテーター)
 
マリンバは、アフリカ生まれの楽器。ポピュラー音楽に使用される打楽器、というマリンバの認識を、安倍は長いキャリアの中で、クラシック音楽や芸術音楽の楽器という地位にまで発展させた。その功績は世界中の名だたる音楽家たちからの尊敬を集めている。
これまでに行ったソロコンサートは3000回以上、100を超える大学でマリンバの指導にあたってきた。1993年には、女性として初めて、国際打楽器芸術協会の殿堂入りを果たしている。誰もが一度は耳にしたことがある、某料理番組のオープニング曲を初めて演奏したのも安倍だ。
音楽家としての第一歩は、10歳の時。小学生の時に参加した楽団で木琴を担当したのが原点となる。この楽団は、戦後傷病兵への慰問や米軍将校たちのパーティーなどで演奏会を開いていた。安倍はその時、演奏を聞いた人々の表情を見て、音楽の素晴らしさを心に刻んだという。
中学生の時に、マリンバと出会う。偶然耳に入ってきた豊かな響きある音色は、安倍を一瞬でとりこにした。その出会いは、音楽家としての活動を加速させていく。14歳でNHKのオーディションに合格、安倍は当時最も若いプロの演奏家となった。
安倍が世界中の音楽家からリスペクトされている理由の一つは、脇役でしかなかったマリンバを主役にしたこと。ピアノやバイオリンにその楽器のための曲があるように、安倍はマリンバのためのオリジナル楽曲を作った。名だたるクラシック音楽家にマリンバのための作品を作曲してもらい、オリジナルの楽曲でソロリサイタルを開催、大絶賛されたのだ。
その活動は、いずれ日本から音楽により理解の深い海外へ広がり、「KEIKO ABE」の名前は世界中の音楽家たちに知られていくことになる。また、マリンバという楽器そのものの魅力をさらに広げるため、楽器の開発にも注力してきたことも、安倍が世界中から尊敬される一因となった。
80歳を迎えた今も、週に一度は大学で後進の指導にあたり、世界中から来る公演のオファーにも応え続けている安倍。マリンバにかける情熱と行動力は、どのように生まれてくるのか? 世界中の音楽家たちがリスペクトする安倍の魅力とは? 打楽器・マリンバに人生を捧げた安倍圭子のすべてに、鋭く迫る!