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#391

加賀まりこ(女優)

ゲスト×インタビュアー
加賀まりこ(女優)× 小松靖(テレビ朝日アナウンサー)

1943年12月11日、東京・神田生まれ。父は大映の映画プロデューサーで、黒澤明や美空ひばりといった大物たちが家にくる環境で育った。両親の教えは「世間体を気にしないコト」。学歴、経歴で人は決められないと、自由奔放に少女時代を過ごす。
17歳のとき、街で声をかけられたのが、映画監督・篠田正浩と脚本家・寺山修司。映画のヒロイン役の女優を探していたと聞いて、人助けだと思い、快諾。その後、本人の意思とは関係なく次々に仕事が舞い込むものの、女優という仕事にやりがいを見つけられなかったという。
人気絶頂の20歳の時、突如、半年先の仕事を全てキャンセルし、単身パリへ。クリスチャン・ディオールなどの有名人たちと交友を深めた。この時、フランス人から「人生で大事なこと」を学んだという加賀。一体どんなことを学んだのか…?
加賀がフランスから日本に戻ったきっかけは、1本の電話だった。相手は、劇団四季の創設者・浅利慶太。舞台への出演依頼だった。映画の世界とは違い、全身が客の前にさらされる。声も客席の端まで届かなければならない…。演技の勉強などしたこともなく、周りの足を引っ張っていた加賀は「一から芝居を勉強したい」と、舞台公演をこなしながら劇団四季の養成所へと通う。
1971年、加賀まりこが初のヌードを披露した写真集「私生活」が発売された。カメラマンは、公私共仲の良い、立木義浩。2年間かけて、パリや軽井沢でプライベートの加賀が撮影された写真集は…なんとノーギャラだった! その理由とは?
今年で15年連れ添っている旦那さまとは、なんと別居生活。でも仲は良いと言う。加賀まりこ流、夫婦仲をうまくいかせる秘訣とは…。また、そんな旦那さまから言われて一番うれしい言葉は、「放っておけない」。今までそんな風に見てくれた男性はいなかったという。
74歳を迎えた加賀まりこ、70歳を超えた高齢者たちに言いたいことがあるという、日本の将来を見据えたその思いとは?
そして今も若さを保っている加賀の健康の秘訣は、5年前から始めたピラティス。テレビをV字開脚で見るそうだ。歳をとって、すっくと立ち上がれない、フラフラ歩く。そんな老人にはなりたくないので、ピラティスのトレーニングは欠かせないという。
今回のインタビュー収録は、千代田区の「山の上ホテル」で行われた。幼い頃、三輪車で遊びにきたという思い出の場所で、加賀が自身のこれまでを振り返る。