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報道・ドキュメンタリー
地球クライシス ~気候危機 転換への道しるべ~生態系の異変!最前線&再エネの未来 第9弾
地球クライシス ~気候危機 転換への道しるべ~ 生態系の異変!最前線&再エネの未来 第9弾
2024年 3月31日(日)よる9:00~11:00
旅・くらし
飲み込みやすい料理の教室 川端恵里(かわばた・えり)48歳
未来につなぐエール
2024年3月31日(日)よる6:54~7:00
「越木岩神社の椿まつり」
#274
暦に集う
2024年3月31日(日)よる8:54~9:00
高田将吾 一般社団法人Cleanup & Coffee Club
#465
fresh faces
2024年3月30日(土)よる8:54~9:00
スポーツ
齋藤梨衣(射撃競技)× 神奈川県鎌倉市
#130
ジモト魂~アスリートたちの原点~
2024年3月30日(土)よる11:55~深夜0:00
マルチチャンネル編成
2024年4月からメインチャンネル(151ch)とサブチャンネル(152ch)で番組を同時に放送する「マルチチャンネル編成」を開始します。
Fresh Faces ~アタラシイヒト~
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ゲスト×インタビュアー 加賀まりこ(女優)× 小松靖(テレビ朝日アナウンサー) 1943年12月11日、東京・神田生まれ。父は大映の映画プロデューサーで、黒澤明や美空ひばりといった大物たちが家にくる環境で育った。両親の教えは「世間体を気にしないコト」。学歴、経歴で人は決められないと、自由奔放に少女時代を過ごす。 17歳のとき、街で声をかけられたのが、映画監督・篠田正浩と脚本家・寺山修司。映画のヒロイン役の女優を探していたと聞いて、人助けだと思い、快諾。その後、本人の意思とは関係なく次々に仕事が舞い込むものの、女優という仕事にやりがいを見つけられなかったという。 人気絶頂の20歳の時、突如、半年先の仕事を全てキャンセルし、単身パリへ。クリスチャン・ディオールなどの有名人たちと交友を深めた。この時、フランス人から「人生で大事なこと」を学んだという加賀。一体どんなことを学んだのか…? 加賀がフランスから日本に戻ったきっかけは、1本の電話だった。相手は、劇団四季の創設者・浅利慶太。舞台への出演依頼だった。映画の世界とは違い、全身が客の前にさらされる。声も客席の端まで届かなければならない…。演技の勉強などしたこともなく、周りの足を引っ張っていた加賀は「一から芝居を勉強したい」と、舞台公演をこなしながら劇団四季の養成所へと通う。 1971年、加賀まりこが初のヌードを披露した写真集「私生活」が発売された。カメラマンは、公私共仲の良い、立木義浩。2年間かけて、パリや軽井沢でプライベートの加賀が撮影された写真集は…なんとノーギャラだった! その理由とは? 今年で15年連れ添っている旦那さまとは、なんと別居生活。でも仲は良いと言う。加賀まりこ流、夫婦仲をうまくいかせる秘訣とは…。また、そんな旦那さまから言われて一番うれしい言葉は、「放っておけない」。今までそんな風に見てくれた男性はいなかったという。 74歳を迎えた加賀まりこ、70歳を超えた高齢者たちに言いたいことがあるという、日本の将来を見据えたその思いとは? そして今も若さを保っている加賀の健康の秘訣は、5年前から始めたピラティス。テレビをV字開脚で見るそうだ。歳をとって、すっくと立ち上がれない、フラフラ歩く。そんな老人にはなりたくないので、ピラティスのトレーニングは欠かせないという。 今回のインタビュー収録は、千代田区の「山の上ホテル」で行われた。幼い頃、三輪車で遊びにきたという思い出の場所で、加賀が自身のこれまでを振り返る。
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ゲスト×インタビュアー
加賀まりこ(女優)× 小松靖(テレビ朝日アナウンサー)
1943年12月11日、東京・神田生まれ。父は大映の映画プロデューサーで、黒澤明や美空ひばりといった大物たちが家にくる環境で育った。両親の教えは「世間体を気にしないコト」。学歴、経歴で人は決められないと、自由奔放に少女時代を過ごす。
17歳のとき、街で声をかけられたのが、映画監督・篠田正浩と脚本家・寺山修司。映画のヒロイン役の女優を探していたと聞いて、人助けだと思い、快諾。その後、本人の意思とは関係なく次々に仕事が舞い込むものの、女優という仕事にやりがいを見つけられなかったという。
人気絶頂の20歳の時、突如、半年先の仕事を全てキャンセルし、単身パリへ。クリスチャン・ディオールなどの有名人たちと交友を深めた。この時、フランス人から「人生で大事なこと」を学んだという加賀。一体どんなことを学んだのか…?
加賀がフランスから日本に戻ったきっかけは、1本の電話だった。相手は、劇団四季の創設者・浅利慶太。舞台への出演依頼だった。映画の世界とは違い、全身が客の前にさらされる。声も客席の端まで届かなければならない…。演技の勉強などしたこともなく、周りの足を引っ張っていた加賀は「一から芝居を勉強したい」と、舞台公演をこなしながら劇団四季の養成所へと通う。
1971年、加賀まりこが初のヌードを披露した写真集「私生活」が発売された。カメラマンは、公私共仲の良い、立木義浩。2年間かけて、パリや軽井沢でプライベートの加賀が撮影された写真集は…なんとノーギャラだった! その理由とは?
今年で15年連れ添っている旦那さまとは、なんと別居生活。でも仲は良いと言う。加賀まりこ流、夫婦仲をうまくいかせる秘訣とは…。また、そんな旦那さまから言われて一番うれしい言葉は、「放っておけない」。今までそんな風に見てくれた男性はいなかったという。
74歳を迎えた加賀まりこ、70歳を超えた高齢者たちに言いたいことがあるという、日本の将来を見据えたその思いとは?
そして今も若さを保っている加賀の健康の秘訣は、5年前から始めたピラティス。テレビをV字開脚で見るそうだ。歳をとって、すっくと立ち上がれない、フラフラ歩く。そんな老人にはなりたくないので、ピラティスのトレーニングは欠かせないという。
今回のインタビュー収録は、千代田区の「山の上ホテル」で行われた。幼い頃、三輪車で遊びにきたという思い出の場所で、加賀が自身のこれまでを振り返る。