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#394

林家木久扇(落語家)

ゲスト×インタビュアー
林家木久扇(落語家)× 小松靖(テレビ朝日アナウンサー)

1937年10月19日、東京・日本橋生まれ。実家は雑貨問屋でとても裕福な暮らしを送っていたが、1945年の東京大空襲で家が焼け落ち、貧しい生活に一変した。
落語家になる前、実は意外な職業に就いていたという木久扇。高校卒業後、働き始めたのは食品メーカーの「森永乳業」。さらには、当時ヒットしていた漫画「かっぱ天国」の作者・清水崑の門下となり、漫画家デビューも果たすほどだった。そんな木久扇が、いかにして落語家になったのか?
1960年、22歳で三代目・桂三木助に入門するが、半年後に三木助が他界し、八代目・林家正蔵の元へ移る。初めての高座では、与えられた持ち時間が少なく、前代未聞の行動に出たという。その驚きの行動とは…?
1969年、32歳の時、国民的娯楽番組「笑点」のレギュラーメンバーに。今や最古参かつ最年長である木久扇は、まもなく出演50年に突入する。「笑点」の知られざる舞台裏から、先日、逝去した桂歌丸への思い。さらには、胃がん、咽頭がんと2度もがんを患い、声を一時的に失った時の心境。そして、木久扇流のがんとの向き合い方まで、赤裸々に語ってくれた。
インタビューは、東京・日比谷にある帝国ホテルで行われた。2007年、息子に自らの芸名を譲り、落語界初の親子ダブル襲名を行った記念すべき場所で、木久扇が存分に語る。