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#395

國村隼(俳優)

ゲスト×インタビュアー
國村隼(俳優)× 吉永みち子(作家)

1955年11月16日、熊本生まれの大阪育ち。車好きが高じて自動車のエンジニアを目指し、中学卒業後に高等専門学校へ入学。しかし、自分が理系でないことに気づき、4年の時に中退する。
暇を持て余していた國村に声をかけてきたのは、小学校の同級生だった。「劇団のオーディションがあるから、暇つぶしに受けてみないか?」。この言葉が転機となり、20歳で劇団の研究生に。アルバイトをしながら食いつなぐ日々を送る。
そして、1981年に公開された映画「ガキ帝国」で、スクリーンデビューを果たす。しかし、井筒和幸監督が手掛けたこの映画、制作に使える金額はわずか500万円だった。撮影の許可申請などはしておらず、人目を盗んで撮影をすることもあったという。
スクリーンデビューはしたものの、なかなか大きな仕事が来ないまま、いつしか30歳を超えていた國村。本当に役者で食っていくのかどうか、真剣に考えて人生をかけた博打に出る!新聞で見つけたハリウッド映画のオーディションを受けることにしたのだ。「もしも落ちたら、その時点で役者はやめる」と覚悟を決めて臨んだ結果…國村は見事選ばれた。それが、マイケル・ダグラス主演、高倉健、松田優作も出演したハリウッド映画「ブラック・レイン」(1989年)だった。共演者だった松田優作から「映画の楽しさ」を学び、自分も映画の世界で生きていこうと心に決める。
その後、國村は何本かの香港映画のオファーを受ける。1992年「ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌」では、ジョン・ウー監督や俳優のチョウ・ユンファとの映画づくりを経験。そして、2003年「キル・ビル Vol.1」では、ヤクザの親分役として再びハリウッド映画に出演した。そんな國村が海外作品に出る上で気をつけているのは「イメージ」。会話ではなく、芝居を見せることでコミュニュケーションをとり、台詞が難しい広東語などの時には「役は日本人で」「台詞も極力少なく」とオファーしているという。
数多くの作品で活躍し続ける國村の、プライベートの趣味は「渓流釣り」。疑似餌を使って、釣るか釣られるか? 魚とのゲームを楽しんでいるという。俳優という仕事の裏側から趣味の話まで、普段見られない素顔が詰まった、貴重な1時間!