ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

  • トップページ
  • バックナンバー
  • インタビュアー
  • contents4

バックナンバー

5月23日(土)ゲスト:桑田真澄 (野球解説者)

野球解説者、桑田真澄と、月刊「ゲーテ」編集長、館野晴彦の顔合わせ。舘野が桑田の著書「心の野球」の編集を手がけたという仲。著書を作る間、様々な事を話し合った二人。心許し合える間柄だからこその深いインタビューとなった。

2006年にアメリカ・メジャーリーグ球団、ピッツバーグ・パイレーツで現役を引退した桑田は、2009年、早稲田大学の大学院に進学。昨年2014年には、東京大学大学院に進学し、野球の理論を研究、現役選手は引退しても、いまだ、野球一筋に生きている。

桑田と言えば、誰もが知る元プロ野球選手。しかも一流…。高校時代、甲子園で一躍脚光を浴び、同期の清原和博とのKKコンビで一世を風靡。しかし、日本中を巻き込む騒動にまで発展した「K.Kドラフト事件」で、〝友人を裏切った男〟のレッテルを張られ、甲子園のスターから一転、ダーティヒーローの烙印を刻まれる。今回のインタビューで、30年の時を経てあの「KKドラフト事件」の舞台裏を桑田が語った。

その後も数々のスキャンダルや、選手生命を脅かす程の怪我に苛まれてきた。桑田は、そんな数々の『試練』と『挫折』を乗り越え、それでも果敢に『夢の実現』に挑戦し続けてきた。その強い精神力は、プロそのもの。桑田はこれまで、どのような思いを胸に「野球」、そして「人生」に向き合ってきたのか。

巨人時代、世話になった当時の監督、王、藤田とのエピソード。桑田流、「超効率的努力」の方法を身につけた理由。桑田が考える「野球学」。さらに話は盛り上がり、プライベートな話題にまで。そして生涯のライバル、親友・清原和博への想い…、野球界のレジェンド達との知られざる秘話も明かされる…。

5月24日(日)ゲスト:森英恵 (デザイナー)

日本人としてモードファションの国際舞台に挑んだパイオニア、森英恵。終戦間もない東京・新宿。ごく普通の主婦だった森は、小さな洋裁店を開く。これが世界的デザイナー・森英恵の原点となった。1950年代から60年代前半にかけて、日本映画の衣装デザインを数多く担当し、65年、ニューヨークで初の海外コレクションを発表。77年には東洋人として初めて、パリのオートクチュール組合の正会員となり、27年間で手がけたコレクションは、実に数千点にも及ぶ…。現在89歳。生涯アーティストとして貫き続ける志、そして今、見据えるものとは?

1926年、島根県で生まれた森。父は開業医で裕福な家庭。2人の兄と姉と妹がいる、5人きょうだいの4番目だった。父はお洒落な人物で、有名百貨店の通信販売を利用したり、呉服商を家に呼び、母や子ども達が着るものは、全て見立てた。この父のお陰で森は幼少の頃から、「装う」という意識が自然に養われたという。

子育てをしながら洋裁店を開いた森。デザイナーとして世界デビューしたのは、40代になってから。その後アメリカ、パリへ活躍の舞台を移し、一流デザイナーへ成長して行った。森の活躍とともに広く知られていった「蝶のデザイン」。実はそこには、森の日本に対する思いがあった。

森のこだわりは手で作ること。そんな彼女にとって一流の職人が集まるオートクチュールの世界は長年憧れた世界。東洋人として初めて足を踏み入れたパイオニアの苦労、妥協なき手仕事に身を捧げた思いとは?

世界的デザイナーとなった森は世界を駆け回り、数多くのセレブ達に洋服を作ってきた。モナコ公妃のグレース・ケリーや、女優ソフィア・ローレン、元大統領夫人ロナルド・ナンシー…。華やかなセレブの世界とは?

コレクション作品以外にも、企業の制服、五輪のユニフォーム、舞台衣装など森は幅広く手がけてきた。89歳となった今も舞台衣装の制作を続けている。 デザイナー人生を支えてきたものとは?そして発想の源とは?

島根県益田市にある島根県立石見美術館で、展覧会が開催されている。「森英恵の仕事とスタイル」。これまで手がけてきたオートクチュール作品はもちろん、現在も手がけている舞台衣装、デザイナーとして仕事を始めた頃に取り組んだ映画衣装、企業やオリンピックの制服など。ファッションという文化を日本に根付かせた森の功績が伝わる展覧会となっている。その様子も紹介する。