ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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9月5日(土) ゲスト:中村吉右衛門(歌舞伎俳優)

人間国宝の歌舞伎俳優・二代目中村吉右衛門。
「中村吉右衛門」は、大正から昭和にかけて活躍した名優、初代中村吉右衛門が一代で築き上げた名跡。22歳でその名を襲名した二代目中村吉右衛門は、初代の背中を追い、芸を磨き続けた。そして、緩急自在なセリフ回しで、時代物から世話物、新歌舞伎まで高い評価を得る看板役者となった。
誰でもわかるエンターテイメントの側面が強まりつつある現代の歌舞伎界において、「わかりやすさ」ではなく「初代から継承した芝居」を追い求めてきた。

愚直なまでに「歌舞伎の王道」を貫く梨園の重鎮は、いまの歌舞伎界を、どう見ているのか?
また、歌舞伎を次世代に残すために、何が必要と考えているのか?

プライベートでも劇場に足を運ぶ歌舞伎ファンの小島慶子が、人間国宝・中村吉右衛門の歌舞伎に対する思いに迫る。

八代目松本幸四郎(のちの初代白鸚)の次男として生まれたが、すぐに母方の祖父・初代中村吉右衛門の養子となり、乳母に育てられた。初代は、大正から昭和にかけて、六代目尾上菊五郎とともに歌舞伎界を背負って立った大役者。吉右衛門のことを「坊」と呼び可愛がり、銀座界隈の寿司屋やフランス料理店に、よく連れて行ったという。

4歳で初舞台を踏んだ吉右衛門。二代目を襲名するべく、着々とキャリアを積む一方で、複雑な家庭環境と歌舞伎役者になる宿命に、戸惑うこともあったという。大学生の時には、歌舞伎役者を辞め、フランス人の恋人ともにフランスに移住することを決意。しかし、実父の「何にでもなっちまいな」という一言で思いとどまり、それ以降は、芸の道を邁進するようになる。

22歳で、二代目中村吉右衛門を襲名。実父や初代の弟子など、初代の芝居を知る役者たちに教えを乞い、芸を磨いていった。初代が残した書抜(自分のセリフだけを書き抜いた台本)を見せてもらいながら、当時のエピソードを披露してもらう。

1985年には、江戸時代に建てられた芝居小屋「金丸座」での歌舞伎上演を復活させ、2006年からは、初代の芸を顕彰する歌舞伎座公演「秀山祭」をスタート。古典歌舞伎継承の大きな柱となっている。現在、市川染五郎や尾上菊之助など、次代を担う若手役者の育成を手がける吉右衛門。人間国宝となり、芸を伝える側となったいま、江戸時代の伝統芸能をどのように残そうとしているのか?

さらに、「鬼平犯科帳」の裏話や、ディズニーランドが大好きという意外なプライベート秘話など、小島慶子が、中村吉右衛門の懐に飛び込む。

9月6日(日)ゲスト:塚本晋也(映画監督)

映画監督・塚本晋也。1989年、映画「鉄男」でローマ国際ファンタスティック映画祭グランプリを受賞し、世界の映画界に衝撃を与えた。その斬新な映像感覚は、クエンティン・タランティーノ、ギャスパー・ノエなど、名だたる映画監督達を魅了し、世界中に“塚本フリーク”と呼ばれる熱狂的なファンを生んだ。
対峙するのは、同じく映画監督のヤン・ヨンヒ。「塚本は日本で最も尊敬する映画監督の一人」というヤンの熱望に応え、作品以外で滅多にカメラの前に立たない塚本晋也へのインタビューが実現した。

強烈な世界観を生み出す塚本晋也の思考はどのようなバックグラウンドから生まれてきたのか?東京・渋谷に生まれ、極度といえるほど内向的だった少年時代。塚本をそこから解き放ってくれた、とある出来事。塚本晋也の美的感覚に大きな影響を与え、映画製作へのきっかけとなった父親の存在。一つ一つのエピソードが塚本作品を作り上げる重要な要素になっていることが次々と明らかに。

7月に公開された最新作「野火」についても深く聞いていく。これまでの塚本作品とは一線を画す内容…。題材としたのは大岡昇平原作の「野火」。太平洋戦争末期、敗戦濃厚なフィリピン戦線で生と死の狭間で右往左往する日本兵。死の直前における人間の極地…、塚本独自の視点から映画作品にした。

実は原作の「野火」を塚本が読んだのは高校生の頃。そこからずっと、いつか映画化したいと想い続け、構想20年…。様々な理由で資金が集まらず、ずっと心の片隅にあった「野火」の映画化に踏み切ったのは、塚本が本能で感じた近年の「戦争に向かう世の中の雰囲気」。戦争の虚しさを、どうしても今、「野火」で世間に投げかけたかった。

塚本は様々な発想で映画製作に挑んだエピソードを語っていく。映像が駄目なら、高校大学で学んだ絵画の腕を活かしてアニメーションにならないか?誰もいないなら、撮影も出演も全部一人でやればいいじゃないか?やがて作品への情熱が実を結び、多くのボランティアや協力者を得て、一本の映画作品として公開されるまでの過程に、同じ映画監督のヤンも感心することばかりだった。