ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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10月3日(土) ゲスト:辺真一(「コリアレポート」編集長)

コリアレポート編集長、辺真一。もはや、テレビでその顔を見ない日が無いのではないかという程、お茶の間に浸透した朝鮮半島問題のスペシャリスト。だが、画面で語られるのは、困難な政治状況ばかり。その私生活が語られる事は無い。

韓国済州島から移住してきた両親の元、東京都荒川区で育った辺。周囲も朝鮮系の人々に囲まれていて、さほど蔑視を感じていなかったという。しかし、ある日、父の名刺の苗字が次々と変って行くことに疑問を持つ。それは、まだ朝鮮系の人々が企業に就職するには困難な時代を生き抜くためのことだった。家族だけでなく、兄弟の面倒まで見ようと奮闘する父、肉体労働で支える母の姿を覚えているという。

北朝鮮系の新聞社で記者を経て独立、フリーとなった辺。しかし、孤軍奮闘も虚しく購読者は一向に増えない。青森に移り住み、焼肉屋を経営していた父からは、跡を継げと催促され、ジャーナリストの道を諦めようとした時、世界を驚かせる事件が起こる。

北朝鮮の最高指導者、金日成総書記がクーデターによって暗殺されたという報道。様々な怪情報が錯綜する中、正確な情報を求めて専門家を探しまくったマスコミの、白羽の矢が立ったのが辺だった。とは言え、情報が入って来ないのは辺も同じ。だが、本当に金総書記が死んだのか?誤報かと問われた辺は限られた情報の中、勝負に出る。彼の分析は「誤報」。数日後、金総書記は姿を現し、その分析が的中した事が証明された。そこから辺の専門家としての道が開けてゆく。

父が死去し、親戚一同が集った場で、辺は自らの出生の秘密を知る。これまで周囲に配慮して語られる事がなかったその秘密を語る辺。その決意の裏側には、日韓の狭間で生きて来た彼ならではの立脚点があった。

日本、韓国、北朝鮮、常にどことも与せず、公平な視点から分析し、コメントしてきた辺。そこには複雑な生い立ちと、それに屈せず生きて来た矜持があった。

10月4日(日)
一龍斎貞水(講談師)

講談師・一龍斎貞水。講談界初の人間国宝だ。
60年の高座人生。斜陽の時代が続く講談の世界を支える、現代の第一人者の覚悟、重圧、そして現在に野際陽子が迫る。

四谷怪談―。
夫の伊右衛門に酷い仕打ちを受け、挙げ句、捨てられてしまう…。悲劇のヒロイン、お岩が主人公。憎しみを抱えて世を去った彼女が、幽霊になって復讐を果たすという、日本で最も有名な怪談噺のひとつ。
この日、貞水が披露してくれたのは、そのお岩が生まれたときの悲劇の物語。貞水の怪談は「釈台を前に張り扇を叩く」という講談の基本形にとらわれない。照明や音響を効果的に使い、時には舞台上を動き回り殺陣を披露することもある。それは時代に適応させた貞水オリジナルの演出。その名も「立体怪談」。さらに、貞水怪談の演出の要で、企業秘密と言われる「自家製釈台」。その構造に迫る。

御年76。当代随一の演じ手と称される貞水だが、その講談人生には紆余曲折があった。貞水が師・一龍斎貞丈の一門に入門し、講談の世界に飛び込んだ昭和30年ごろは、落語ブームの真っ盛り。多くの若手噺家がいた。一方で講談界では貞水が唯一といっていい若手。注目を集める噺家を横目に、陽の当たらない講談師。肝心の実力も「下手、不器用」と酷評を受ける日々は、苦虫を噛み潰すような下積み時代だった。
一方で生活費を稼ぐために行っていたキャバレーでの司会のアルバイト。そこで偶然目にした光景が貞水の運命を切り拓いた―。ここで「怪談の貞水」が生まれる。

真打に昇進したのは27歳のとき。そこからは「若手真打の筆頭」として飛ぶ鳥を落とす勢い。さまざまな賞レースでその名を挙げた。芸に磨きをかけ、2002年には人間国宝に認定。順風満帆な講談人生だった―。
しかしその三年後、2005年に貞水を悲劇が襲った。がんの発病―。その闘病生活は壮絶を極めた。それでも、手術の一ヵ月後には高座に上がり、痛みをこらえて噺を続けた。現在も治療は続くが、本人はいたって前向き。新たな治療法も芸のヒントにしようとする気概―。その貞水を支えているものとは。

2011年、150年に及ぶ歴史を誇った、日本唯一の講談専門の寄席、本牧亭が経営悪化を理由に廃業を余儀なくされた。決して明るいとはいえない講談の未来。伝統話芸を後世に伝えていく、人間国宝の使命、貞水の覚悟とは―。