ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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11月28日(土) ゲスト::野口聡一(JAXA宇宙飛行士)

JAXA宇宙飛行士・野口聡一。1981年4月12日。スペースシャトル「コロンビア」号がアメリカ・ケネディ宇宙センターより打ち上げられた。その光景をテレビで見た時に覚えた興奮を胸に、野口は宇宙飛行士を目指した。しかし当時は宇宙飛行士に関する情報も少なく、具体的に何をすれば良いか分からない。その中でも「宇宙飛行士になりたい」という思いを軸に行動を選択していった。

東京大学に進学し、航空学科でジェット機エンジンの研究に熱中。石川島播磨重工業(現IHI)に就職後もエンジンの研究・開発を行なう日々が続いた。入社から5年目…。仕事も軌道に乗り初め、私生活では結婚、長女も生まれたばかりの野口に運命の時が訪れる。宇宙飛行士の募集が行なわれていたのだ。

妻の後押しもあり、野口は試験を受けることを決心。長年抱き続けた「宇宙飛行士になりたい」という思いをぶつけた野口は、見事570倍の競争を勝ち抜き、1996年に宇宙飛行士候補者として認定される。

搭乗するミッションも決まり、まさに出発の直前まで迫ったその時。スペースシャトル「コロンビア」号の空中分解事故が発生。乗組員7名全員の命が失われてしまった。
この事故により、野口たちのミッションは無期限の延期を言い渡された。悲しみに暮れる野口は、とにかく訓練に打ち込む他なかった。事故の原因を究明し、その事故が再び起こらないように、訓練をこなす。同時にその期間は「死」と真っ向から向き合う時間でもあった…。

そして2005年7月…。遂に念願の宇宙飛行が実現。このフライトの再開はアメリカ・NASAにとっても重要な意味を持っていた。しかし打ち上げ直後、「コロンビア」号事故で起こった"耐熱材の剥落"が、再び起きてしまう。更に想定外のミッションも行なわなければいけない事態へと発展する。この問題に直面した野口のとった行動とは…。またこの時に初めて、地球と対面する野口。その感動は、野口の価値観を変えることとなる。

2009年12月からは、163日間におよぶ長期滞在任務を国際宇宙ステーションにて遂行。どのように生活をしていたのか、筑波宇宙センターに置いてある実物大の模型を元に、当時の生活を語った。

また国際宇宙ステーション滞在時には、撮ったばかりの写真をtwitterで投稿する、という画期的なアイデアによって、感動の瞬間を全世界の人たちと共有することを実現。美麗な写真の数々が撮影された。
野口はどんな逆境にも屈せず、前を向き続けた末に、夢を叶え、そして問題を解決してきた。その力の源とはいったい何だったのか?その秘密に小島慶子が迫る!

11月29日(日) ゲスト:挾土秀平(職人社秀平組 左官)

天然の土にこだわり近代的な建築物や個人住宅の壁を行う一方で、伝統的な土蔵や茶室の土壁も手掛ける左官、挾土秀平。その仕事は首相官邸、東京の一流ホテル、羽田空港ファーストラウンジ等と幅広い。その土壁はほかに類がなく日本全国はもとより海外でも注目されている。土壁に信念と夢への情熱を宿し続ける土のソムリエ・挾土秀平の裸の履歴書に迫る。

インタビューは挾土の土壁が飾られる、東京タワーのふもとにあるバーで行われた。このバーに飾られる土壁には特別な思い入れがあるという。

天然の土にこだわり、自らの足で土を取りに行く挾土。土には様々な色があるが、緑色だけは日本では手に入らないという。緑色の土を求め地中海のキプロスに向かい、ルーブル美術館の関係者も見つけられなかったという幻の緑色の土を見せてもらう。そして土との出会い、土の様々な表情について語る。

左官業を営む父の元に生まれた挾土は、2代目を継ぐため父の会社に勤めるが待っていたのは上司、先輩からの無理難題な仕事。非協力的で建物の規模に合った職人の人数を増員してくれない。次第にストレスで髪が抜け、めまいに襲われた苦悩の時代だった。

39歳で会社を辞め「秀平組」を設立。天然の土で土壁を創る決意をした挾土。しかし全く仕事がなく、養豚場のブロック積みで生活していったという。そんな生活苦の中、無償で作った「松ぼっくりの野菜蔵」が話題になり、彼の転機となった。

雪を使った壁「氷雪の壁」、自然と人間の共存をテーマにした「日本に生きる想い」、東日本大震災の復興を願った「希望のキャンバス」等、挾土が手掛けた作品の制作過程、創造の方法。そこには朽ちる事の美しさ、自然への想いがあった。そしてこれまで手掛けた数々の土壁を紹介する。

現在の社会では左官は絶滅危惧種だと言う挾土。伝統を見つめなおし左官の今後の在り方を語る。そこには日本人としての誇りがあった。そして今後の夢とは。