ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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12月26日(土) ゲスト:松本晃(カルビー株式会社会長兼CEO)

カルビー株式会社会長兼CEO・松本晃。
1949年に創業したカルビーは、終戦直後の日本人の栄養状態を改善すべく、栄養価の高いスナックを研究、「かっぱえびせん」「ポテトチップス」「じゃがりこ」など、数々のヒット商品を生み出し、日本一のスナック菓子メーカーへと登りつめてきた。しかし近年、少子化や市場の成熟により、業績が伸び悩んでいた。そんな中、白羽の矢が立ったのが、松本晃だ。60年間、一族経営だったカルビーに初めて外部から招かれた経営者だった。
インタビューの場所は、カルビー本社。2010年に自社ビルを売り払い、丸の内のオフィスビルに移転してきた。ここには、松本が行った経営改革の"肝"が凝縮されている。今回のインタビュアー「AERA」編集長・浜田敬子が最初に案内されたのは、松本の机がある場所。それは、浜田の予想をはるかに覆すほどの小さなスペースだった。これは、松本が行った社内改革のほんの一端だという。
松本が今、最も力を入れているのは、会社の"ダイバーシティー化"。"ダイバーシティー"とは、女性や外国人など、多様な人材の能力を取り入れることで、会社や組織の活性化を図るというもの。管理職の30%を女性にすることを目標に掲げている。だが昨今、どの業界でも、女性が管理職をやりたがらないという問題を抱えている。しかし松本は、管理職に任命した女性社員から、その打診を断られたことは一度もない。松本が取り組んできた、女性が働きやすい環境作りが、功を奏しているのだと語る。そのひとつ、"ダーツ"と呼ばれる仕組みとは?
"ダイバーシティー化"によって、カルビーは、新たなプロジェクトを次々と進行してきた。東京駅地下街に、アンテナショップをオープンし、さらに、海外事業にも力を入れ、世界一のスナック菓子企業を目指している。
松本が経営の中で最も大切にしているのは、人材だ。人材があってこそ会社が伸びる、という松本の考えの原点は、彼がカルビーに来る前に働いていた2つの会社での経験が影響している。大学院卒業後、20年間働いた伊藤忠商事では、「ビジネスの基本は"人"対"人"」であることを学んだ。人は買いたいものを買うのではなく、買いたい人から買う、という理念のもと、松本は驚異的な営業成績を残してきた。
その後、1993年には、医療機器を扱う外資系メーカー、ジョンソン・エンド・ジョンソンへ。その後、同社社長、最高顧問に就任。ここで、松本は"クレド"と呼ばれる会社が創業時から大切にしてきた社是に出会う。「一番大事にしなきゃいけないものが顧客で、二番目が従業員とその家族。三番目が地域のコミュニティ。株主は一番最後」この考えを、松本は今も大切にしている。このクレドは、現在の"松本マジック"にどう生かされているのか? 
これまで、業界が驚くような改革を次々に進め、業績を上げてきた松本。カルビーが創業から60年以上かけて作り上げてきたスナックの触感や味を、新たな売り上げにつなげる、松本ならではの秘策とは? さらに、営業の極意について「成績を伸ばすためには"魅力的"な人間になること」と語る松本自身の、人間的な魅力がたっぷり詰まった1時間!

12月27日(日) ゲスト:石井竜也(アーティスト・ミュージシャン)

「米米CLUB」のカールスモーキー石井こと、石井竜也、56歳。
1959年、イワシ漁で活気にあふれた茨城県の港町で生まれる。実家は100年以上も続く、老舗の和菓子店。両親のほかに、祖父母、父の兄弟、住み込みの職人と、20人もの人が同じ屋根の下に暮らす大家族で、家の中は常にぎやかだったという。石井の陽気な性格はこの家庭環境で培われたのかと思いきや、引っ込み思案で仏壇好き、という意外な少年時代を送っていたと語る。
幼いころの夢は、「絵描き」。高校を卒業すると、本格的に画家を目指し、芸術の専門学校に入学する。この時に出会った仲間と、アートパフォーマンス集団「米米CLUB」を結成。銀座の真ん中で新聞を燃やしたり、交差点で寝転がったり…と、反体制スピリットに乗っ取ったアートパフォーマンスを繰り広げてきた。音楽は、あくまでもアート表現のひとつで、バンドには全く興味がなかったという。
その後、新進気鋭の「米米CLUB」の斬新なパフォーマンスは音楽関係者に衝撃を与え、多数のレコード会社から契約の申し出が殺到。そして、1985年「I・CAN・BE」でメジャーデビュー。瞬く間にスターの座にのし上がった。ところが、そのころから石井は"カールスモーキー石井"という仮の姿を演じることに、やりきれなさを感じていた。もう辞めた方がいい…、そんな思いを抱く石井に、音楽の楽しみを教えてくれたのは、あの有名ギタリストだった。「米米CLUB」初のミリオンセラーとなった『浪漫飛行』も、その人物の家で誕生したのだという。一体、その人物とは誰なのか?
デビューから9年後、「米米CLUB」で表現しきれないものを形にするには、映画しかない、とメガホンを取った石井。しかし、2作目の映画「ACRI」が振るわず、巨額の負債を抱えることに。その負債が「米米CLUB」を解散へと導く、大きな要因となってしまった。まさに石井竜也、どん底の時代だった。しかし、そんな絶望のふちに突き落とされた石井を救ってくれた人物がいた。果たして、その人物とは?
さらに、石井が表現するアートの世界にも迫る。これまで、音楽とアートの融合「ART NUDE」、平和への願いを光と音で表現した「GROUND ANGEL」など、石井独自の方法で、その思いを表現してきた。多岐にわたる活動の根底にある"アート"とは、石井にとってどのようなものなのか?
インタビューの場所は、江東区にある石井のアトリエ兼倉庫。この日のために石井自らが作品を展示、これまでにない雰囲気の中、インタビューは進められた。編集者・舘野晴彦はこの独特な空間で、石井のどのような素顔を引き出していくのか!?