ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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3月5日(土) ゲスト:鎌田實 (医師 作家)

医師 作家の鎌田實と、女優・野際陽子の顔合わせ。2人は3年前に一度対談し、健康について深く話した仲。病院、医療支援と忙しく活動する鎌田を、野際は"働き盛り"という。野際だからこそ引き出せた、その意外な一面とは?
1948年、東京都杉並区生まれ。心臓病を患う母の姿を見て、病気の人を治したい、と医師になることを志す。1974年、東京医科歯科大学医学部を卒業。長野県の諏訪中央病院に赴任するも、病院は毎年4億円の赤字を出し、地元住民からも忌み嫌われ、患者が来ない時期が続いたという。当時、脳卒中で亡くなる人が多いことを知った鎌田は、治療だけでなく地域住民の健康を促進するため、"健康づくり運動"を始める。プライベートを削って年間80回、住民に健康になる方法を話し歩いた。減塩、野菜の摂取、歩くことを心掛ける…、と住民たちに呼びかけるが、鎌田の声を受け入れてくれる人は少なかった。当時の歯がゆい思いを赤裸々に語る。
諦めずに行動し続けた努力のかいあってか、現在長野県は男女ともに長寿日本一となっている。鎌田が考える、がんや脳卒中にならない方法とは?
また、末期がんを宣告された患者の心の傷を癒やすために、諏訪中央病院の緩和ケア病棟を設立。名誉院長となった今も、毎週欠かさずここで回診を行う。鎌田は、患者とのコミュニケーションの中で、一度は必ず笑顔を見ることを心掛けている。残された人生を必死に生きる患者の夢や希望を、後押しするその姿に、強く心揺さぶられる野際。たくさんの"死"を見つめてきた鎌田が考える"死"の意味とは?
さらに鎌田は、チェルノブイリ原発事故、東日本大震災、イラク難民の支援…と、世界中の子どもたちに医療支援を行ってきた。その活動の原点となっているのは、平和を強く願う気持ち。医者の立場から、世界が平和になるための方法を語る。
多くの命を助け、支え続けてきた鎌田實。彼を突き動かす原動力とは一体何なのか? 67歳となった今、自らの身を危険にさらしながらも、世界中を訪ねるわけとは?

3月6日(日) ゲスト:弦哲也 (作曲家)

石川さゆりの「天城越え」や川中美幸の「ふたり酒」など、数多くのヒット曲を手掛けてきた作曲家・弦哲也。
戦後間もない1947年、千葉県銚子市の小さな農家に生まれた。テレビがない時代、ラジオから聞こえる古賀メロディーを口ずさむうち、その美しいイントロを奏でるギターに興味を抱くようになる。12歳の時、ギターを買ってもらうと、寝食を忘れて練習に没頭。学校に行く時も、友達と遊びに行く時もギターを持ち歩き「歌手になりたい」という思いを募らせていった。
18歳で念願の歌手デビュー。だが、17枚のレコードをリリースするも、ヒット曲に恵まれず、夜の弾き語りで生計を立てる苦しい日々が続いた。
転機が訪れたのは、当時すでにスターだった北島三郎の助言だった。「この世界で生き抜いていくには、作曲という道もあるぞ。俺だって最近自分で歌を作り始めたんだ」そう言って、ギターを弾き、作ったばかりの曲を歌ってくれたのだという。そのメロディーに心を打たれた弦は、作曲の道に進むことを決意。インタビュー中、この時北島が聞かせてくれた歌を、弦がギターで弾き語った。当時の心境はいかなるものだったのか?
初めて作曲した「おゆき」(内藤国雄)が、100万枚を超える大ヒット。以降、石原裕次郎や美空ひばり、五木ひろしなどスター歌手からの依頼も増え、瞬く間に、希代のヒットメーカーへと登りつめていく。さらに、2006年には、水森かおりに提供した「松島紀行」が、オリコンチャート初登場2位獲得。女性演歌歌手のシングル初登場トップ3入りは、23年10カ月ぶりの快挙となった。
さらに、弦の代表作の一つ「天城越え」も、弾き語りで披露。カラオケブームの真っただ中、あえて「素人が歌えない難しい曲を」という狙いのもとに作られた名曲誕生の裏話とは? また、裕次郎の生涯最期のレコーディングに立ち会った時のエピソードや、売れない歌手だった水森をスターダムに押し上げた「東尋坊」の作曲秘話、弦が考える"人の心を動かす演歌の歌い方"も明らかに! 音楽一筋50年超の"重鎮の技"に、編集者・森下康樹が切り込む!