ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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3月19日(土) ゲスト:大杉漣 (俳優)

俳優・大杉漣。
1951年、徳島県小松市生まれ。男だけの4人兄弟の末っ子。父は、京都大学を主席で卒業した教育者だったが、自由奔放に育てられた大杉は野山を駆け回るわんぱくな少年だった。高校卒業後は、大学進学のため、上京。住んだのは、当時からライブハウスなどが点在していた、吉祥寺だった。学校へは行かず、好きなギターと音楽を聴きながらダラダラ過ごす日々…。やがて、大学も中退するが、それでもなお定職にも就かず、日雇いのアルバイトをしながらのその日暮らしの生活を送っていた。
そのころ、たまたま目にした劇作家・太田省吾の文章に感銘を受け、そのまま劇団に入団。それから、約15年間、舞台俳優として演劇にのめり込んだ。
一方、プライベートでは、結婚後1男1女をもうけ、一家の大黒柱に。しかし、劇団の収入だけでは到底生活できないため、大杉の代わりに、妻は昼夜仕事を掛け持ちして家計を助けた。
37歳の時、突然劇団が解散。食べていくため、当時隆盛だったVシネマに数多く出演するも、まだまだ無名の俳優からはい上がれずにいた。そんな、大杉に大きな転機が訪れたのは、ちょうど40歳になった年。当時、数多くの話題作を手がける北野武監督作品に、出演できるチャンスが訪れたのだ。今や北野映画の"常連"の大杉だが、いかにしてその座をつかむことができたのか? 大杉が体感した、北野監督の独特な演出とは!?
インタビューの舞台は、東京都武蔵野市にあるカフェ。上京間もない大杉の思い出が詰まったこの場所で、日本を代表する名脇役の波乱の人生が解き明かされる!

3月20日(日) ゲスト:小林旭 (映画俳優・歌手)

テレビがまだお茶の間に登場していなかった戦後間もない昭和30年代、娯楽の代名詞といえば映画だった。そんな映画の黄金期に、トップスターの地位に上り詰め、歌謡界の最盛期に数多くのヒット曲を世に送りだした、小林旭。“昭和”のすごみを感じさせる大スターの生きざまは、“伝説”といっても過言ではない。国民的人気を得た「ギターを持った渡り鳥」シリーズのロケで、鹿児島に特急列車で向かった小林を駅で待ち構えていたのは、数万人のファン。人々で埋まった駅に、このまま列車を乗り入れては人身事故を起こしかねない、と判断した国鉄が特急列車を緊急停止。車に乗り換え、鹿児島に向かった小林だったが、さらなる悲劇に見舞われたという。今では考えられない、当時の異常人気を物語るその結末とは?
大スターは、恋愛事情も豪快だ。映画で数々の共演を果たした浅丘ルリ子との熱愛、“世紀の結婚”とまで称された昭和の歌姫・美空ひばりとの結婚秘話が明かされる。実はこの結婚、ひばりからの猛烈アプローチの末だったのだが、わずか1年半で離婚。そこにはある理由が…。小林の口から、ひばりとの最後の夜が明かされる。
さらに、“伝説”はとどまるところを知らない。好きがこうじて手を出したゴルフ場建設に失敗。だまされて、14億円という莫大(ばくだい)な借金を背負うことになる。しかし、小林は経営失敗の会見で起死回生の一言を放った。その言葉とは? さらに、その後巡ってきた、彼の驚くべき強運とは?
また、歌手としての小林旭についても語る。代表曲「熱き心に」に秘めた思いとは? その誕生秘話が語られる!
ダイナマイトのように「爆発するほど強烈な男」という意味が込められた小林のニックネーム“マイトガイ”。その呼び名のとおり“熱き男”の半世紀以上にもおよぶ波瀾(はらん)万丈の芸能人生の裏側には、どのような物語が秘められているのか? “生きる伝説”小林旭の素顔に、編集者の石原正康が鋭く切り込む!