ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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3月26日(土) ゲスト:渡辺貞夫 (ミュージシャン)

ミュージシャン・渡辺貞夫。
1933年、栃木県宇都宮市生まれ。12歳で終戦を迎えると、進駐軍のラジオ放送から流れる軽快なアメリカ音楽に衝撃を受け、ジャズやハワイアンに興味を持つ。高校生の時に、アルバイトで貯めたお金と父親の援助で、高価なアルトサックスを購入。高校卒業と同時に上京し、多くのバンドでキャリアを重ねていった。そして20歳の時、当時ジャズのトップピアニストだった秋吉敏子に声をかけられ、彼女のバンド「コージー・カルテット」に加入。29歳の時には、ジャズの本場・アメリカに渡り、ジャズ専門の教育機関であるバークリー音楽院に入学した。本格的なジャズ理論を学びながら、一流ミュージシャンのステージやツアーに参加し、腕を磨いていく。
帰国後は、自宅でジャズ教室をはじめ、アメリカで学んだジャズ理論を数多くのミュージシャンに伝授。テレビやCMにも積極的に出演し、日本にジャズという音楽のジャンルを広めた。
1978年に発表したアルバム「カルフォルニア・シャワー」は、ジャズ界では異例の大ヒットを記録。さらに、日本人ジャズミュージシャンとしては初となる日本武道館での公演を実現し、3万人以上を動員した。
渡辺の音色は、なぜ人々の心を捉えるのか? なぜ、83歳にして年間100ステージもこなせるのか? “世界のナベサダ”の、誰も見たことのない素顔が明かされていく。
インタビューに挑むのは、サッカー元日本代表・中山雅史。ジャズとは無縁で、渡辺とは接点がなさそうな中山が、なぜインタビュアーなのか? 実は渡辺は、日本代表がワールドカップ初出場を決めた“ジョホールバルの歓喜”や、ドイツでのワールドカップなどを現地で観戦したほどのサッカーファン。“音楽”と“スポーツ”という土俵の違いはあれど、若いころから世界を目指して汗を流してきたという共通点が、2人にはあるのだ。とはいえ、ジャズの知識は全くない中山が、ジャズ界の大御所にどのような切り口で質問を投げかけるのか? そして、どのような本音を引き出すのか? 
中山は、まず渡辺愛用のサックスを手に取り、吹き方を教えてもらう。また、即興での作曲もリクエスト。渡辺は、中山が大好きなブラジルの風景を、メロディーにしてくれた。さらに、サッカー談義にも花が咲き、“世界のナベサダ”と“サッカー元日本代表”の攻防は、思わぬ展開へ! 絶妙な2人の掛け合いは必見、見ごたえたっぷりの1時間!

3月27日(日) ゲスト:大和田伸也 (俳優)

俳優・大和田伸也。
1947年福井県敦賀市生まれ。映画好きの教師に映画館に連れて行ってもらったことがきっかけとなり、映画監督になることを夢見る。しかし、映画業界の勢いが徐々に下火になっていることを感じた大和田は、俳優を目指すことに。「俳優で成功したら、いつしか映画が撮れるかもしれない」と考えていたという。
早稲田大学に入学し、学生劇団「自由舞台」に所属。その後、演劇で給料がもらえるという理由で劇団四季のオーディションを受け、見事合格。大学を中退し、劇団四季へと入団した。しかし、そのことは、当時両親には内緒にしていたという。
2年後、劇団四季で演劇の経験を積み、自分が出演する舞台に両親を招待した大和田は、大学を辞めたこと、そして演劇で生きていくことを告げる。その時、父から毛筆の手紙を手渡された。大和田のその後の人生に大きく影響を与えたというこの手紙に、一体どのような言葉がしたためられていたのか?
1972年、NHK連続テレビ小説「藍より青く」の出演をきっかけに、数多くのドラマに出演。しかし、役を演じるうえで、常にある葛藤があった。悩む大和田にアドバイスをくれたのは、憧れの俳優・高倉健だった。その言葉がなければ、“俳優・大和田伸也”はいなかったかもしれない、と振り返る。果たして、そのアドバイスとは?
また、大和田が"格さん"を演じた、自身の代表作「水戸黄門」の秘話も明かす。そして、妻、弟、弟の妻、そして2人の息子…と、俳優一家である"大和田ファミリー"の話題についても。弟・大和田獏が俳優になった経緯や、俳優として活躍している2人の息子のことなど、プライベートについても赤裸々に語る。
そして、インタビュアーのヤン・ヨンヒが気になっていたという、「オヤジ狩り事件」について。当時ワイドショーでも取り上げられ、大きな話題となった事件の、今だから話せる真相とは!?