ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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4月2日(土) ゲスト:森喜朗 (元内閣総理大臣)

2020年、東京オリンピック・パラリンピック成功のカギを握るキーマンといわれる、元内閣総理大臣、現在は大会組織委員会の会長を務める森喜朗。今年8月のリオ五輪が終われば、世界の目はいよいよ東京に向けられる。しかし、巨額費用により一度は白紙撤回となった新国立競技場建設計画やエンブレム盗用疑惑、大会の運営費も当初予定していた試算の6倍に膨れ上がるなど、ゴタゴタ・迷走が続いている。そこに火に油を注いだのが、会長である森の数々の発言だ。白紙撤回された英国の女性建築家ザハ・ハディド氏のデザインについては、「生がきがドロッと垂れたみたい」と評して物議をかもし、さらに新たなデザインA・B案が公開された時は、「外見だけならB案の方がいい」「(A案は)大会をやっている明るさがない」などと持論を展開。東京五輪運営の重要人物が一方に肩入れする発言に、眉をひそめた人も多かった。一連の騒動の反省を示すためか、昨年10月末には突然坊主頭になるも、世間に森氏の真意が伝わったとは言い難い。思えばソチオリンピックの時には、フィギュアスケートの浅田真央選手に「あの子、大事な時に必ず転ぶんですよ」と発言し、世間のひんしゅくを買った。2014年4月26日に、森氏がこの番組に出演した際には、その真相の一部始終を語ってもらった。では、オリンピックに関する一連の騒動において、なぜ、あのような発言をしてきたのか? 意図的? それとも偶然? 言葉の一部を抜き出ししたマスコミの報道の所為なのか? それとも大会組織委員会会長としての狙いがあったのか?
そこで今回は、番組史上初の試みとして、森元総理に再登場を願い、いつもとは若干スタイルを変え、一連の騒動について急きょインタビューを試みることになった。インタビュアーは、前回同様、ジャーナリストの末延吉正。早稲田・雄弁会の後輩の末延だからこそ、実現した今回の緊急インタビュー。果たして2020年の東京オリンピック・パラリンピックは本当にうまくいくのか? “ラストボス”“政界・スポーツのドン”などといわれる大物に、騒動の一部始終から、今夏行われる選挙まで、普通では知りえない真相の裏側に迫る。
インタビューの場所は、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が入る、東京・虎ノ門ヒルズ。放送日、8日前の3月25日、特別に2時間の時間をもらい、会長室にて収録は行われた。
インタビューの骨子は、東京五輪に関連するさまざまな騒動の真相について。だが、同時に末延にはどうしても気になることがあった。それは森の体調だ。オリンピックの会議場に帽子をかぶって入ってきた森が、「いずれ分かることなので今日お披露目しよう」と、坊主頭を公表したのは、昨年11月のことだった。「みんなが責任取れというから、いっそきれいに坊主頭にした」とその理由を語ったが、実は、同年3月に肺がんの除去手術をしており、それの影響ではないか? だいぶ体調が悪いのでは? ともささやかれている。今年7月には79歳になる森。高齢に加え、病み上がりの体で、組織委員会の会長という大役をこれからも担えるのだろうか? 末延がその本音に迫る。
そして、欠かせないのが永田町の政治舞台を見てきた歴史的な証言。小泉純一郎、福田康夫、安倍晋三と、自身を含め、自らの派閥から4人連続して総理大臣を輩出し、「平成のキングメーカー」と称されている。43年の政治人生の間に、永田町で何が起きていたのか? 前回に引き続き、“日本政治の裏の裏”を語ってもらう。
夏のリオ五輪開幕まで数カ月。果たして4年後の東京五輪は本当に大丈夫なのか? ゴタゴタ・迷走の真相を2020年東京オリンピック・パラリンピック成功のキーマンが胸襟開き、思いを語る1時間。またもや世間をにぎわせる、森節さく裂となるか?

4月3日(日) ゲスト:友川カズキ (歌手)

歌手・友川カズキ。
インタビューは、友川が定期的にライブを行っている、学芸大学にあるライブハウス「アピア」で行われた。彼の“主戦場”ともいえる場所に乗り込んだ、インタビュアーは、編集者・石原正康。歌手としてだけでなく、詩人、画家、競輪愛好家、エッセイスト、俳優など、さまざまな分野で活躍する友川の波瀾(はらん)万丈の人生に切り込んでいく。
1950年に秋田で生まれた友川は、20歳で上京。日雇いで働いていた時に、フォークシンガー・岡林信康の歌を聞いたことで、歌手を志すようになったという。友川に衝撃を与えた、岡林の歌のあるフレーズとは?
文学性の高い歌詞も、評価されている友川。その原点となったのは、中学時代に出会った詩人・中原中也の詩だった。その詩から受けた鮮烈な印象を語りながら、中也の詩に曲をつけた「夏の日の歌」を披露する。
友川の存在を世に知らしめたのは、歌手・ちあきなおみに提供した楽曲「夜へ急ぐ人」だった。1977年にNHK「紅白歌合戦」でちあきが披露した圧倒的なパフォーマンスが、当時話題となった。彼女から楽曲提供のオファーを受けた際、友川はライブで歌うちあきの姿に、伝説のある歌手を重ね合わせ、涙を流すほど感動し、この曲を作ったのだという。友川が歌詞に込めた、ちあきへの思いとともに「夜へ急ぐ人」をセルフカバーで歌いあげる。
 さらに話題は、映画「限りなく透明に近いブルー」出演時の裏話から、「戦場のメリークリスマス」を撮った大島渚監督との意外なエピソード、「遊びで描いている」とは思えないほど趣ある絵を描く画家としての横顔にも迫る。そして、生涯はまっているという、競輪の魅力についても熱く語る。
時代を越え、聞く人の心を震わせる歌手・友川カズキの魅力に、言葉を紡ぐプロ・編集者の石原正康が迫る。