ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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4月23日(土) ゲスト:前園真聖(サッカー元日本代表)

サッカー元日本代表・前園真聖。
1973年、鹿児島県生まれ。ヤンチャだったという前園少年は、4歳上の兄の影響でサッカーを始める。近所のおじさんにもらったマラドーナのビデオテープを擦り切れるほど見て、一人でドリブル練習に明け暮れた日々…。この練習が、後に“天才ドリブラー”と呼ばれるほどの足技の原点になったといっても過言ではない。その後、サッカーの名門・鹿児島実業高校に進学。3年連続で全国高校選手権に出場し、2年生の時には準優勝を経験する。
1992年、九州を第2のフランチャイズにしていた横浜フリューゲルスに入団。1994年にはA代表にも選ばれた。そして、1996年のアトランタオリンピックで、サッカー王国ブラジルを破る“マイアミの奇跡”が起きた。グループリーグは敗退に終わるも、帰国してからのフィーバーぶりに戸惑いを隠せなかったという。このころから、前園のもとには海外チームからのオファーが数多く届いていた。自身も、オリンピックで世界との戦いを経験し、海外移籍を目標に置いていたという。当時フリューゲルスの看板選手だった前園への移籍金は、破格の3億5千万円。しかし、海外で実績のない日本人にこの巨額の金額を払うチームは無かった。
夢破れた前園は、当時国内一だったヴェルディ川崎に移籍を果たすも、調子が上がらず、思うような活躍ができなかった。その後、海外を優先してブラジルやヨーロッパ、韓国を渡り歩き、2005年、31歳の時に引退した。前園が引き際を決めた理由とは、一体何だったのか?
さらには新聞各紙を騒がせた、暴行事件についても包み隠さず語る。事件の真相、そして空白の謹慎期間…。前園は何を考え、何をしていたのか? 「失敗するからこそ、学べることがある」と振り返り、事件後を“第二の人生”と位置づけるその人生観に迫っていく。
インタビューの舞台は、自由が丘にある和洋菓子店「黒船」の2階にあるカフェ「COCOCEN」、スイーツ好きの前園行きつけの店で、ここでしか味わえない「MIRAIカステラ」がオススメだという。リラックスした雰囲気の中、編集者・舘野晴彦が鋭い切り口でインタビューに挑む!

4月24日(日) ゲスト:谷垣健治(アクション監督)

アクション監督・谷垣健治。
1970年、奈良県生まれ。小学生の時、テレビで見たジャッキー・チェンの主演映画「スネーキーモンキー蛇拳」で、香港アクションのとりこになる。
高校時代は、少林寺拳法部に入部。大学に進学すると、倉田保昭が主催する倉田アクションクラブに入所し、テレビや映画でスタントマンの仕事をし始めた。しかし、次第に「香港でやりたい」という思いが強くなり、20歳の時、アクションの本場・香港に旅立つ。そしてあろうことか、憧れのジャッキー・チェンに「香港でスタントマンになりたい」と直談判。丁重に断られるも、2年後、意を決して単身香港に移住。以降、スタントマンの職を得て、さまざまな香港映画の現場を渡り歩いてきた。
24歳の時、谷垣に転機が訪れる。後に香港のアカデミー賞といわれる「香港電影金像奨」の最優秀アクション監督賞である「最佳動作設計」を4度受賞したドニー・イェンの目に留まり、彼のアシスタント業務を任されたのだ。アクション指導のキャリアを積み、やがて、アクション監督として独り立ちすると、日本からも声が掛かるようになり、帰国。香港仕込みのアクション監督として、その名が知れ渡っていった。谷垣から見た“香港アクション”の魅力とは? 谷垣の血となり肉となったものとは何だったのか? ジャッキー・チェンやドニー・イェンとの現場エピソードから、谷垣の思いを掘り下げていく。
2012年、人気コミックを実写化した映画「るろうに剣心」に参加。圧倒的なスピード感と迫力、リアリズムを追求したアクションが話題となり、日本のみならず世界66の国と地域で上映された。2014年には続編となる二部作が公開。シリーズ通算の興行収入120億円以上の大ヒット作となった。その舞台裏を、本編やメイキング映像を交えてたっぷり語る。また、主演・佐藤健の撮影秘話や、リアリティーあふれるアクションシーンの秘密も明らかに!
そもそもアクション監督とは何なのか? 世界の度肝を抜いたアクションは、どのように形作られてきたのか? スポーツキャスターの松岡修造が独自の視点で谷垣健治の素顔に迫る!