ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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5月21日(土) ゲスト:山本昌 (スポーツコメンテーター)

スポーツコメンテーター・山本昌。
インタビューは、神奈川県茅ケ崎市の母校・松林中学校野球部で、ともに練習に明け暮れた当時のキャプテンが開いたホルモン焼きの店で行われた。毎年1月には野球部の仲間と集まり、思い出話に花を咲かせるという。気心の知れたこの場所で、山本の野球人生をひもといていく。
生涯219勝を勝ち取った山本だが、中学校の野球部では、補欠だった。中学校3年生の最後の試合でエースが腰を痛め、繰り上がりで試合に出場。運よく県大会まで勝ち進み、その結果、野球の名門・日本大学藤沢高等学校へスポーツ推薦で入学することになる。高校ではエースだったものの、神奈川県の強豪を前にベスト8止まり。このころは、大学に進学し、社会科の教師になることを夢見ていた。そこに降って湧いた中日ドラゴンズからのドラフト5位指名。当初は、入団をためらったという。
1984年、中日ドラゴンズに入団するも、最初の4年間での一軍登板回数は、たったの4回。勝ち星もなく、戦力外通告一歩手前で、“いつ首を言いわたされるか”を常に心配していたという。そんな時、監督として就任したのが星野仙一だった。中日ドラゴンズから1位指名され、エースとして好成績を上げていた現役時代の星野は、この時の山本と正反対の存在。さらに、“闘将”として知られる星野に、山本は「本当によくしかられた」と振り返る。しかし、そんな星野が下したある決断が、山本の一つの転機となった。中日ドラゴンズと提携していた、アメリカのロサンゼルス・ドジャース傘下のマイナーリーグのチームに所属することになったのだ。ここで山本は、アイク生原という人物に出会う。アイク生原は、もともと亜細亜大学野球部監督で、野球の指導を一から学び直したいと渡米し、当時はドジャーズの職員として日本からの留学生の指導を一手に引き受けていた。そんな彼が、山本にピッチングの基礎を指導し、変化球を身につけるようアドバイスしてくれた。半年後、日本に帰国して、プロ野球初勝利。さらに初完封と、調子はうなぎ上り。渡米前はどん底だった山本が、アメリカでの指導と練習によって、人生を大きく変えた。
しかし、その翌年は再びスランプに。そんな中、迎えた1989年5月のジャイアンツ戦。対戦投手は、このシーズンすでに5勝を挙げていた桑田だった。この試合が終わった瞬間、山本は涙を抑えることができなかった。32年間のプロ野球人生のうち、引退試合の他に涙を流したのはこのジャイアンツ戦だけだった。一体それはなぜなのか?
山本の人生に大きな影響を与えたもう一人の人物、それが後に“名将”とうたわれた落合博満だった。3冠王に3度輝いた名打者と、山本は7年間ともに戦うが、その後、落合はジャイアンツに移籍。そして2003年、落合は監督として再び中日ドラゴンズに戻って来た。この時、山本は“野球に関しては、落合さんの思い通りになる”という不思議な力を目の当たりにしたという。そんな落合が、山本に掛けたある言葉のおかげで、山本はプロ野球最年長49歳5カ月での勝利記録、そして最年長50歳での試合登板を達成することができたという。落合が山本にかけたある言葉とは?
インタビューのラストでは、山本の中学時代の野球部の仲間が店に乱入! 同級生が山本昌の素顔と魅力を語る!

5月22日(日) ゲスト:大河原邦男 (メカニックデザイナー)

メカニック・デザイナー大河原邦男。メカニック・デザイナーという職業は、大河原が日本で初めて、職業として成立させたもの。「機動戦士ガンダム」「科学忍者隊ガッチャマン」「ヤッターマン」など、誰もが子どものころに憧れたロボットアニメの“生みの親”である。
1947年、東京都の稲城市で、4人兄弟の次男として生まれた。出来が良かったほかの兄弟とは違い、勉強は苦手。そんな大河原がのめり込んだのは、自宅の蔵で行った“分解”だった。柱時計や手回しのレコードを分解し、その構造や仕組みを見て楽しんでいたという。
そんな大河原の人生を変えたのが、1枚のポスターだった。1964年の東京オリンピックで作られた、グラフィックデザイナー・亀倉雄策の作品だ。「自分もあんな格好いいポスターをデザインしたい!」と一念発起、デザイナーを目指して東京造形大学の1期生として入学を果たす。しかし、1年でその夢を諦めた大河原が、卒業後に進んだのはアパレルの会社だった。そこで紳士用スーツのデザインをするも、その道も途中で断念。1972年に、「マッハGoGoGo」や「ハクション大魔王」などのアニメで知られるタツノコプロに入社した。「科学忍者隊ガッチャマン」のメカデザインを皮切りに、「ヤッターマン」「機動戦士ガンダム」など、次々に大ヒットを飛ばす。
ファン必見、ガンダムの制作秘話も赤裸々に明かす。大河原がデザインしたガンダムには“口”があった? ガンダムのデザインのコンセプトは“侍”? 両肩に“刀”を背負い、頭の真ん中についているのは“ちょんまげ”? など…、大ヒットアニメ誕生の裏に隠された、試行錯誤の日々とさまざまな苦労とは?
そんな大河原の仕事に対するスタンスは、「スケジュールは絶対に守り、1日前に仕上げる」「デザインにはそれほどこだわらない」「アニメは監督に絶対的な決定権があるので、言われた通りに直す」。自らをアーティストではなく、代案を提案する職人だという大河原。40年以上もの間、大河原への発注が絶えないのは、デザインの質だけでなく“職人”として仕事をこなす大河原の姿勢にあった。
インタビューの場所は、東京の稲城市にある大河原の自宅兼アトリエ。多くのアイデアが生み出されてきた特別な場所で、スポーツキャスターの松岡修造は大河原のどのような素顔を引き出すことができるのか?