ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

  • トップページ
  • バックナンバー
  • インタビュアー
  • contents4

バックナンバー

6月18日(土) ゲスト:稲川淳二 (タレント・工業デザイナー・怪談家)

今や“怪談家”の代名詞ともいえる、稲川淳二。20年以上続く怪談ツアーは、通算600回以上の公演、40万人以上を超える観客を動員し、チケット入手困難な夏の定番人気イベントとなっている。よわい70に近づく稲川が、なぜこんなに力を入れて活動を続けてきたのか? 
稲川の怪談が支持される理由の一つに挙げられるのが、“稲川スタイル”といわれる独自の語り口調。早口でまくしたて、擬音を多用し、その情景を聞く人の脳裏に焼き付けていく話術は、幼いころに枕元で子守唄のように聞いた母親の“怖い話”に影響を受けたという。単なるホラーではなく、どこか温かみのある稲川の怪談は、そんな母の愛情が含まれているから…、かもしれない。
そして、インタビュアーのヤン・ヨンヒが驚いたのは、20年以上続くツアーの中で、稲川が常に新作の怪談を披露し続けていること。今回、気が遠くなるほど手間がかかるという準備の過程を見せてもらった。
“怪談家”のイメージが強い稲川だが、実は彼の本業は“工業デザイナー”。デザインの名門校を卒業し、多くのプロダクトを生み出してきた稲川の実力は、デザイン業界では誰もが一目を置いている。私たちもよく目にするバーコードリーダーや新幹線車内の検札機なども、稲川のデザインの製品で、1996年には通産省選定のグッドデザイン賞も受賞している。
デザイナーとして一流の実力を持ちながら、なぜ芸能界に入り、バラエティー番組で活躍することになったのか? 稲川ならではのコミュニケーション能力の高さが広げた世界…。その道のりを一つ一つひもといていく。
しかし、稲川はある時期を境にバラエティー番組から姿を消す。その時一体、稲川に何があったのか? 実はそのころ、生まれてきた次男が“クルーゾン氏症候群”という病気を抱えていた。頭の骨に異常があり、手術が遅れると手足にまひが出る可能性があると告げられ、頭が真っ白になったという。生後4カ月で手術を受けることになった次男を前に、「死んでほしい」と思ったことも…。次男自身や家族、自分の将来のことを考え、心に生まれた葛藤だった…。その後、次男の手術は無事に成功。頭に包帯を巻いた次男を見た時、思わず「おれはお前の父ちゃんだぞ!」と叫び、初めて息子の名前を呼んだという。自分はなんて最低な父親なんだ…、正気に戻った稲川はテレビで無理に笑いを作ることをやめた。
来年には古希を迎え、怪談ツアーも節目の25年となる。今も歩みを止めず前に進み続ける稲川淳二が思い描く未来とは? さらに、番組のためだけに披露してくれた特別な怪談も必見!

6月19日(日) ゲスト:橋幸夫 (歌手)

歌手・橋幸夫。
1943年、橋は東京・荒川区で染物屋を営む両親のもと、9人兄弟の末っ子として生まれた。一番上の兄とは24歳も年が離れていたという橋少年は、ボクシングや柔道を習い、近所の悪がきたちから“親分”と呼ばれていた。何とか悪友から切り離そうとした母親が、知り合いを頼り、橋を歌謡教室に通わせたのが歌と出会うきっかけとなった。
1960年、わずか17歳の若さでレコードデビュー。デビュー曲の「潮来笠」は大ヒットを記録し、瞬く間にスターへの階段を上り詰めた。その後、吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」や、「恋をするなら」「恋のメキシカン・ロック」などのリズム歌謡でヒットを飛ばし、橋の人気は不動のものとなる。
1971年、27歳の時に4歳年下の凡子(なみこ)さんと結婚。2人の子どもにも恵まれた。まさに幸せの絶頂だったが、橋はこの時“人気”というつかみどころのないものに左右される歌手の仕事に嫌気がさし始めていたという。
そんな中、橋の後援会長だった佐川急便の会長が新しいレコード会社を設立し、1984年、橋はそのレコード会社の副社長に就任する。しかし、東京佐川急便事件が表面化し、レコード会社は閉鎖に追いこまれ、橋も莫大な借金を抱えることに。そこで奮起した橋は、再び歌に全精力を注いだ。1996年には、股旅ソング「面影渡り鳥」が大ヒット。昨年行われた芸能活動55周年を記念したコンサートも大成功を収めた。今年7月には、180目のシングル「ちゃっきり茶太郎」が発売されるが、この曲は多くのファンが待ち望んだ、20年ぶりの股旅ソングとなっている。
また、歌手活動のみならず、プライベートを飾らない人柄もその魅力のひとつ。1989年には、認知症の母の介護体験をまとめた「お母さんは宇宙人」を出版。認知症について語ることすらタブーとされていた当時の風潮に、一石を投じた。また、結婚30周年目に出版した「別れなかった理由」では、熟年離婚の危機があったことを赤裸々告白。夫婦の絆を再確認するまでのいきさつを本音で語っている。
人生で誰にでも起こりうる困難に、ひとつずつ正面から向き合ってきた橋幸夫。ジャーナリストの嶌信彦が、希代の歌い手の知られざる「裸の履歴書」をひもといていく!