ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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8月6日(土) ゲスト:有馬稲子(女優)

女優・有馬稲子。
昭和7年、大阪の池田市に生まれ。父親が左翼活動で国に目をつけられたため、4歳の時に当時日本の統治下にあった韓国・釜山の叔母のもとに預けられた。このことが、後々の女優人生への布石となったという。
そもそも、女優にも、宝塚にも全く興味がなかったという有馬。女優になったきっかけは、終戦で帰国して始まった実家暮らしだった。厳格な父との息の詰まるような生活から抜けだしたい一心で宝塚に入団。その後、叔母に家をプレゼントするため宝塚から借金をした有馬は、借金を肩代わりするという東宝からの誘いに飛びつき、映画界へと進出。その美貌を武器に、一躍トップスターとなった。しかし、そんなきらびやかな世界とは裏腹に、女優として厳しい道のりが待っていたという。その現実とは?
プライベートでは、1961年、俳優・中村錦之助と結婚。映画界始まって以来の豪華な結婚式を挙げた二人は、生活もまた桁違いだった。900坪の土地に150坪の家、プール付きで体育館まであったという。そんな2人の新婚生活に現れた、昭和の歌姫・美空ひばりの意外な言葉とは?
2度目の結婚は、自ら“人生の間違い”というほど、有馬の人生を狂わせた。夫の不動産会社が倒産、多額の負債を抱え、当時住んでいた田園調布の豪邸を手放すことに。身も心もボロボロになった有馬が苦難を乗り越えられたのは、女優という仕事があったから、と振り返る。
女優人生の後半は、舞台の道へ。観客の反応がすぐに返ってくることに感動し、舞台にはまっていったという。当たり役の「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」は24年間、述べ684回のロングランを記録。有馬のライフワークとなった。
インタビューの場所は、有馬が現在住んでいるシニア向けのマンション。看護師が常駐する健康管理室があり、栄養管理士による食事ができ、娯楽施設も充実している。有馬が行き着いた心安らぐ場所で、その波瀾(はらん)万丈の半生が語られる!