ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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11月4日(土)
ゲスト:せんだみつお(タレント コメディアン)

ゲスト×インタビュアー
せんだみつお(タレント コメディアン)× 小島慶子(タレント、エッセイスト)

1947年、樺太・真岡で生まれる。父は製紙の技術者で18歳年の離れた兄と二人兄弟。終戦直後の混乱期に誕生したのは「次の戦争で兵隊さんが足りなくなると困る」という両親の思いからだった。幼少のころは、ビタミンD不足から「くる病」にかかり、医者に諦められていたほど病弱だったという。 
1948年には、樺太を離れ日本で暮らすことに。樺太の記憶が全くない、というせんだは、「死ぬまでに自分の生地を見たい」と、故郷への思いを吐露する。
高校在学中、のちのビリー・バンバンとして活躍する菅原進と知り合い、共に音楽学校に通う。実はせんだも、ビリー・バンバンの初期メンバーとして、打楽器のコンガを担当していた。しかし1969年、ビリー・バンバンのデビューが決定すると、レコード会社の意向で脱退することに。当時の心境、ビリー・バンバンとの交友について赤裸々に語る。
1969年、22歳の時、ラジオ「ワゴンでデート」でDJデビュー。1972年には「ぎんざNOW!」の司会に抜てきされブレークを果たした。番組には竹中直人、小堺一機、矢沢永吉など、後のスターも出演。翌年には和田アキ子と司会を組んだバラエティー番組「うわさのチャンネル!!」に出演し、人気は不動のものになる。人気絶頂だった当時の心境とは? そして後にスターとなる著名人たちとの交友録とは? 新人時代の秋元康の素顔も明かす。
1978年10本以上のレギュラー番組を抱えていたせんだは、体調不良で入院を余儀なくされた。4カ月間入院し、仕事に穴をあけたことで徐々に仕事は減っていく。仕事が無くなる焦りと不安の日々…、さらに追い打ちをかけるように80年代には漫才ブームが到来する。ツービートやB&Bらに人気を奪われ、レギュラー番組はとうとう無くなってしまった。自身の芸風と漫才ブームで開花した芸人たちとの違いとは? さらに、ビートたけしとの交流秘話、「コマネチ」「ナハナハ」の誕生裏話を語る。
再び芸能界によみがえるため改名し、楽曲発表などさまざまなことにチャレンジしてきたせんだ。売れっ子芸人に「コンビを組もう」と声を掛けたことも。前向きに活動し続けるのは、「人を笑わせたい」という思いがあるから。「挑戦しては失敗」を繰り返してきた人生、そこから得た、せんだにしか語れない爆笑エピソードを明かす。
今年古希を迎えたせんだには、同じ団塊世代と若者たちに伝えたいことがあるという。それは、どんな仕事でもありがたくやるという気持ち。絶頂とどん底を経験したせんだだからこそ語れるエールとは? また、他人を敬い、助け合う気持ちが足りない現代社会にも警鐘を鳴らす。「もっと親切、もっとやさしく…」と。
インタビュアーはタレント、エッセイストの小島慶子。番組で幾度もインタビュアーを務めてきた小島だが、今回彼女の口から初めて「また新しい話が始まるんですか…」という言葉が放たれた。それほどまでにパワフルな人間・せんだみつおの魅力とは? 笑いとスベりの裏に隠された、せんだの本音、そして知られざる素顔に鋭く迫る!