イタリアへ・・~須賀敦子・静かなる魂の旅~

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あなたの想い出のイタリア

皆様にお寄せいただいた、イタリアの想い出、須賀敦子さんの著作に関するエピソードなどをご紹介します。
お便りをお寄せいただいた方には、抽選で5名様に特製図書カード(500円分)を贈呈いたします。
※お便りの受付は終了しました。どうもありがとうございました。

「自分の大切な思い出のように」 37kwさん (埼玉県 30代 男性)

ちょうど10年前の夏、スロベニアに2ヶ月くらいいた頃、トリエステの町まで行ったことがあります。そのころはスロベニアの海沿いの街にはあまり大きなスーパーがなかったので、少し遠出して、トリエステの街まで買い出しに行っていたのです。イタリアの東の端の街、トリエステは、以前は貿易の要の街だったらしいのです。今でも昔の文化を感じることはできますが、少しくたびれた、静かな街でした。
帰国後、偶然、須賀さんの「トリエステの坂道」を見つけたのをきっかけに、彼女の昔話に引き込まれていきました。おそらく、あの寂れた同じ街で、同じような印象を受けたことに共感したのでしょう。彼女の中で消化された、楽しいこと、つらいこと、発見したこと、わかったことなどが、独特の文章で、やさしく、まるでおばあさんの昔話を聞いているような心地よさで書かれていた彼女のエッセーを、次々に読み進めていきました。しかし、途中で気づいたのです。彼女がもう新しい本を出すことがない、ということを。それからは、自分の大切な思い出を租借するように、ゆっくり何度も読み返しました。今でも読み返したり、新しく編集されたものがないか、本屋を探りに行きます。須賀さんの送った人生も、その時代も違うのですが、まるで同じものを共有している様に思える、そんな作家です。

「住む国が違っても」 ふにゃさん (東京都 40代 女性)

須賀敦子さんの本との出会いは、イタリアとの出会いでもありました。住む国が違っても、ひとの心の根っこにある哀しみは同じなんだなあという、私の拙い感想が、「登場人物と心の中だけでも会話できたら」と私をどんどん引っ張り、気がついたらイタリア語を学び、エッセイに登場する街をふらふら歩いていました。(ミラノのランブラーテ墓地の中をうろついているうちに「私はいったい何をしているんだろう?」と我に返り失笑しました。)
須賀さんの新しい本を読むことができなくなったのを、長年さびしく思っていましたので、今回、このような番組を放送していただけたこと、本当に感謝しております。

「須賀さんを見つけに」 谷口雅枝さん (東京都 40代 女性)

イタリアに憧れ続け、念願の地を踏むことができたのは9年前。最初に見た“イタリア”はフィレンツェのドゥオモだった。可愛らしい色合いに相反して、その堂々たる佇まいに、思わず涙があふれるのを必死におさえながら歩いていた。あの初めての旅の、感動と驚きの連続は未だに忘れられない。ますますあの国に魅せられてしまった私は、その後、何度も足を運ぶことになるのだが、旅を重ねるごとに魔法をかけられてしまう。楽しかったことはもちろん、ウンザリしたことも全て大切な宝物になり、ますます惹かれていく魔法を。
ある日、いつものように地図帳を眺め、思いを馳せていた時に目に留まったのが、トリエステだった。イタリアの隅々まで行ってみたいと思う私にとって、この国境の町は頭の中に小さな居場所を作り始めたのだ。それからずい分たって「トリエステの坂道」を見つけた時、当然のように手に取り、我が家へ連れて帰った。須賀さんの本を読んだのは、これが初めてだったのだが、読んでいくうちに彼女の話を間近で聞いているような不思議な感覚を覚えた。他にはまだ「ミラノ 霧の風景」と「コルシア書店の仲間たち」しか読んでないけど、イタリアの生活、周りの人(仲間)たちをどんなに大切にしていたかが伝わってくる。残念ながら、トリエステにはまだ行ってないのだが、いつか必ずあの空気に触れてみたい。そんなに遠くないいつか、須賀さんを見つけに・・・。

「イタリアからのメール」 水瀬柊子さん (京都府 女性)

イタリアに憧れたのか、須賀敦子という人の行き方に惹かれたのか。
パックツアーで行ったイタリア・フィレンツェ。教会見学に少し飽いて、ふらりと入ってみたインターネット・カフェ。もちろん日本語フォントは無いけれど、メールは送れるという。初めて海外から送ったメールは、その当時とても好きだった人へ宛てた「ローマ字」メールだった。
「Ima watashi wa Firenze ni imasu.」
帰国後もらった返事には「Bikkuri shitayo.」と書かれてあった。

「須賀さんのエッセイを辿る旅」 竹本道代さん (兵庫県 60代 女性)

須賀さんのエッセイを辿る旅を始めたのは、6年くらい前から・・・中でも、最も長く生活されたミラノには、昨年の秋、ようやく訪れることが出来ました。「コルシア書店」を探し、よく、ペッピーノさんとも行かれたというバールを、頭の中の地図通りに、見つけることが出来ました。ノートに貼った行った須賀さんの写真を見せ、店の人に、「この人に覚えはないか」と拙いイタリア語で質問しました。勿論、知っている人はいませんでしたが、彼女は、「日本でもよく知られた文学者だ」と説明すると、皆、興味深そうに覗いていました。コルシア書店の人たちも、よく通ったというバールで、ヴィーノ・ロッソを飲み、温野菜のサラダを食べることが出来ただけでも、大満足でありました。次は、ローマ、そして、いつかトリエステへ・・と夢は繋がっていきます。

「須賀敦子の紡ぐ文章」 百瀬多佳美さん (長野県 20代 女性)

本の装丁に惹かれて、「霧のむこうに住みたい」を買った。須賀敦子については大竹昭子氏のシリーズで断片的に知っていただけ。そうして、本を開いたのは、時間を持て余した夏の休暇でだった。のんびりと、蝉の音を聞きながら、わたしは世界に没頭した。言葉から行間から、セピア色の映画みたいな景色が鮮やかにやわらかく浮かんでくるのだ。
あとがきで、江國香織さんが彼女の訳に触れて「言語はつながっている、という確信を得た」と書いている。わたしはいま、タブッキの翻訳を読みながら、そのことを思っている。須賀敦子の紡ぐ文章は、水のように染みわたり、ワインのように血を騒がせる。同時に揺るぎない指針として、わたしの脳裏に記憶された、須賀敦子は、そんなひとだ。

「幼い頃の私とイタリア」 アーモンドポッキーさん (東京都 20代 女性)

幼少の頃、父親の仕事の関係でヨーロッパに住んでいました。家族で各国旅行しましたが、一番思い出深いのがイタリア旅行です。幼い頃の私はポンペイ遺跡に魅せられ、また日本人にとっては料理がまずいと言われていたイギリスに住んでいた事もあって、イタリアの料理はどれも美味しく感じました。
今年、留学している友人を訪ねに一人でベネツィアに行く予定です。その前に須賀さんの目のイタリアはどのような魅力にあふれているのか、また27になった私にイタリアはどのように映るのか、今から番組を楽しみにしています。

「須賀文学との出会い、イタリアへのあこがれ」 高橋恵子さん (群馬県 50代 女性)

息子のイタリア留学を機会にイタリアに関する本を読み漁っている時、須賀敦子さんの「ミラノ霧の風景」に出会いました。魅了されていたネオ・レアリズム映画の映像の背景にある生きたイタリアを一人の高潔な日本人女性の繊細な感性を通して”美しい日本語”で紹介して頂きました。以来彼女の作品、翻訳などを読み続ける事が私のライフワ-クとなりました。また、「時のかけらたち」でロ-マのパンテオンの天井は彼女をイタリアに引き止めたことと因果関係があると記しています。須賀さんの感じた光、臭い、音を知りたく、足跡をたどる旅は私の夢となりました。
彼女が生活していた頃から半世紀後の今も燦然と存在している文化遺産の街並みを肌で垣間見たいと熱望しています。”イタリアへのあこがれ”に導いて下さった須賀文学に感謝する日々です。