歴史発見 城下町へ行こう!

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風林火山!戦国最強 武田信玄の素顔!山梨・甲府の旅

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2000メートル級の険しい山々を背に建てられた武田神社。戦国時代、この場所には武田信玄の本拠地「躑躅(つつじ)ヶ崎の館」があった。こぞって各地の大名が石垣や天守を建てる中、信玄はなぜ館にこだわったのか。そこに隠されていた信玄鉄壁の防衛術とは?

武田信玄といえば戦国最強といわれた騎馬軍団。織田信長も徳川家康もその存在におびえていたという。しかし、この時代にいた馬はサラブレッドではなく、「木曽馬」と呼ばれた小さなポニーだった。サラブレッドと比べれば体も小さく足も短い。体力も走るスピードも劣っている。一体なぜポニーの騎馬軍団が、戦国最強と恐れられたのか? そこには信玄流驚きの秘策があった!

山梨名物のひとつ「甲州みそ」。山梨は四方を山に囲まれた寒さ厳しい土地のため、米の収穫は少なかった。しかし、みそ作りには米が必要なため、山梨独特の作り方が生まれ、「甲州みそ」は誕生した。そんな山梨で見つけた、その名も「みそなめ地蔵」。信玄がこの地に運び込んだという不思議な地蔵の謎に迫る!

甲斐の虎・武田信玄生涯のライバルといえば、越後の龍・上杉謙信。そんな2人が12年間で5回も戦った「川中島の戦い」。中でも最大の激戦といわれた4回目の戦いでは、信玄と謙信の一騎打ちが繰り広げられたという。なんと、謙信の刀を信玄の軍配が受け止めた!?
しかし、軍配といえば紙や木で作られるもの。伝説の一騎打ちは講談などを盛り上げるための作り話だったのか?
そんな中、信玄の軍配が保管された寺を発見。しかも、その軍配は一騎打ちの時に使われたものだという!

信玄が徳川家康を追い詰めた「三方ヶ原の戦い」。家康は命からがら逃げきり、その後、自らの惨めな姿を絵に書きとめた。家康は生涯その絵を戒めとして傍らに置き、天下を治めることができたという。しかし、この話には続きがあり、戦後も信玄と家康は争っていた…しかもその争いが原因で、日本の伝統文化が変わってしまったという!

果たしてその驚きの内容とは?

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