BS朝日開局15周年特別企画 黒柳徹子のコドモノクニ ~夢を描いた芸術家たち~

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放送内容

アンパンマン誕生の秘密!
やなせたかし"正義"の物語

今回は、絵雑誌『コドモノクニ』で活躍した芸術家らと同様に、子どもたちに夢を届け続けた漫画家・やなせたかしの人生に迫る。誰もが知っている人気キャラクター「アンパンマン」の生みの親、やなせたかしが歩んだ94年の生涯―。そこにはいったいどんな物語があったのだろうか?

その人生を探るのは、タレント・西村知美。映画「それいけ!アンパンマン 夢猫の国ニャニイ」に声優として出演したこともあり、アンパンマンへの愛着は人一倍。そんな彼女が、やなせたかしが作品に込めた思いを探る。

大正8年、高知県に生まれたやなせたかしは18歳で上京、製薬会社の宣伝部でグラフィックデザイナーとして仕事を始めた。しかし、時はまさに戦争の時代。やなせも召集され、中国戦線へ行くことになる。彼は後に「僕はこの戦争体験の中で"正義"とは一体何なのか…重い問いかけを自らに課すことになった」と述べている。復員後は故郷の高知県で新聞記者となるが、結婚後に再び上京。三越百貨店のデザイナーとして就職することになった。この時、やなせがデザインした三越の包装紙は今も使われて続けている。

28歳で子どもの頃からの夢を実現させるために、漫画家への道を歩み始めたやなせ。しかし、それはまさにいばらの道だった。昭和48年、50代半ばに差しかかろうとしていた頃、ようやくチャンスをつかんで描いた「あんぱんまん」。しかし、その評判は散々なもので、自らの顔をちぎって飢える人々にパン食べさせる主人公は「俗悪」とさえ酷評された。しかし、子どもたちは主人公・あんぱんまんに共感を抱く。後にテレビのアニメーション番組として放送が始まり、その人気が爆発。やなせが初めて「あんぱんまん」描いてから10年が経過していた。やなせはこの作品に自らの正義についてのメッセージを込めていた。「本当の正義は戦うことではなく、まず空腹の人を救うべきだ―」。

そして、「90歳を過ぎたから、もう引退しよう…」やなせがそう思っていた時に起きた、悲劇。2011年3月11日、東日本大震災だ。この時、被災地を勇気づけたのが、やなせが作詞した「アンパンマンのマーチ」だった。やなせは再び自らの気持ちを奮い立たせ、被災した人たちのために「アンパンマン」のポスターを作成。声優らとともにミュージカルの公演をして人々を励まし続けた。 生涯現役の漫画家として活躍したやなせたかしの94年の生涯。それは、子どもたちに"本当の正義"と"笑顔"を届けるための人生であった。

【出演】西村知美