BS朝日開局15周年特別企画 黒柳徹子のコドモノクニ ~夢を描いた芸術家たち~

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放送内容

「ゲゲゲの鬼太郎」誕生の秘密!
反戦の漫画家・水木しげる

去年11月末、「ゲゲゲの鬼太郎」などの作品で知られる妖怪漫画家の第一人者、水木しげるが93年間の生涯を終えた。画業は実に60年以上。日本文化が持っている創造性や特異性を「妖怪」という形で結実させた。

一方で水木しげるは、自らの戦争体験を長期間にわたり描き続けた漫画家でもある。人気漫画「ゲゲゲの鬼太郎」はどのようにして誕生したのだろうか? 水木しげるの激動の人生を俳優・佐野史郎がたどる!

水木しげるが生まれたのは大正11年。くしくも、絵雑誌『コドモノクニ』が創刊された年。水木しげるは『コドモノクニ』の絵画主任だった武井武雄の大ファンだったという。水木漫画の原点には、武井武雄の芸術性が高くモダンな童画があったのかもしれない。

水木しげるが育ったのは鳥取県境港市。"拝み手"の老婦人「のんのんばあ」の妖怪話に夢中になり、寺の地獄絵を飽かず眺めていたという。水木はその頃から妖怪の存在を確信し、いつか絵を描いて食べていくと決める。しかし戦争が始まると、水木は21歳で激戦地へ。ニューギニア戦線でこの世の地獄を体験、生きながらえたものの片腕を失うことになる。戦後は貧困に苦しみながら少年時代からの夢だった漫画を描き続けた。

そして、昭和35年「墓場の鬼太郎」を発表。それが、昭和43年に「ゲゲゲの鬼太郎」となり、一躍人気漫画家の仲間入りを果たす。その誕生の裏側には何があったのだろうか?

生涯現役の漫画家として活躍した水木しげる。佐野史郎は、平成8年にTVアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」に出演したことが縁で、その後も水木しげると交流があった。今回水木しげるの足跡をたどり、子どもたちへのメッセージをひもとく。

【出演】佐野史郎