にっぽん今昔道 江原啓之のちょっと道草
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ストーリー

伊勢・海の恵み固い絆




にっぽん今昔道。第四回目は前回に引き続き三重県で道草。

海が近い伊勢地方の人々は、古来より海の恵みを祈願し感謝してきました。そんな伊勢の人々の象徴とも言える場所があります。穏やかな伊勢湾に面して佇む二見興(おき)玉(たま)神社から道草がスタート。

海岸沿いの参道を歩きながら江原曰く「何度来てもすがすがしい」。それもその筈、この海岸は「清らかな渚」と呼ばれているんです。

美しい渚に沿って歩いていくと目の前に現れるのが"夫婦岩"。感嘆の声を上げる江原「さすがな景色です!」高さ9mの男岩、4mの女岩、二つの岩を結ぶ35mの注連縄。晴れた日には岩の間から富士山の山影も見えるとか。人と自然が作り出した美しい風景。江原、思わず見とれてしまいます。

二見(ふたみ)から伊勢湾に浮かぶ答(とう)志(し)島(じま)へ渡ります。答志島には、日本では殆ど見られなくなってしまった風習が未だに残っているのだとか。潮風香る島で"古き良き美しい日本"を探します。鳥羽の港から船に乗って約20分、答志島に到着します。面積わずか7平方キロメートルの答志島は、人口が3000人弱。大半の住民が漁業に従事する漁師の島です。

まずお邪魔したのはワカメの加工小屋。とびっきり明るいお母さん達とふれあいます。そんなお母さん達が用意してくれたのは、採れたばかりのワカメのメカブ。答志島では今の季節、ワカメ漁が最盛期なんです。沸いたばかりのお湯を茶色いメカブに注ぐと…仰天!見る見るうちに鮮やかな緑色になりました。お酢を垂らして、糸を引くほどまでトロトロになったメカブに舌鼓です。

そして江原は、この島に残るという風習を求めて島内の中心部へ。

そこはまるで昭和の時代にタイムスリップしたかのような風景。車一台も通れない程の狭い路地裏には、古めかしい家々が建ち並んでいます。

狭い路地を通りやすくする為、開発された手押し車・ジンジログルマ。答志島では"一家に一台"。その言葉通り、玄関先にはどの家にもジンジログルマが繋がれています。その光景に江原も驚天!

お魚をご近所におすそ分けするお母さんにも出会いました。建物や風景だけでなく、人間関係だって昔ながらなんです。古きよきご近所付き合いに大感激。

町の食堂では、採れたての"シンコ"(コウナゴの子供)を堪能。そしてこの食堂の女将さんから、この島に残る風習「寝屋子(ねやこ)」について教えてもらいました。

答志の男の子達は15歳になると、同じ年齢の男の子5~6人で一つのグループを形成し、「寝屋親」と呼ばれる全く別の家族のお宅で寝起きするのです。時間は夕食を自宅で食べた後から翌日朝食を食べに戻るまでの間。これを約10年間続けます。

そこで養われるのは、礼儀作法や一般常識、漁の方法、そして協調や団結の心得など海での生活に欠かせないものばかり。

親と子は本物の親子のような、そして子供同士も実の兄弟のような関係になります。その関係はこの制度を卒業した後も、一生涯続く固い絆。それが、この島に残された風習「寝屋子」なのです。

番組では週末を利用して島に帰ってきた寝屋子の子供達に密着します。 「実の子供のように思っている」という寝屋親、そして「本当の親には言えない事も言える、よき相談相手」と寝屋子。

江原は寝屋親のお宅へ。そこで知ったのはこの風習の由来でした。そして答志の人々の温かさ、そして寝屋子制度から、日本に息づいていた「ご近所付き合い」の精神を見つけ喜ぶのでした。