にっぽん今昔道 江原啓之のちょっと道草
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東京都・「立ち上がる姿・浅草」




今回は、東京都浅草での道草です。
江戸時代、全国から人々が集結した浅草、特に職人や商人が多かったといわれています。

さっそく江原さん、大きな熊手が目立つ神社を発見。
多くの人で賑わうことで有名な酉の市が行われる「浅草鷲(おおとり)神社」です。

宮司の河野元俊さんに酉の市に欠かせない熊手についてお話を伺いました。
酉の市では熊手に値札が付いていません。そのため、売り手と買い手がコミュニケーションを取り、値段交渉が始まります。
“負けた分はご祝儀として置いていく”値段は下がらなくとも、これが昔ながらの粋な買い方なのだと教えてもらいました。

熊手の装飾は様々で2つと同じものはないといわれています。
縁起のいい松竹梅はもちろんのこと、大黒様が入っている枡には“ますますの繁盛”という願いが、鯉の滝登りは“立身出世”の祈りが込められています。
現代、あまり聞かなくなってしまった縁起を担ぐ言葉。 言葉から希望を発していきたいと感じた江原さんでした。

続いての道草は、江原さん馴染みの寿司店「ますみ寿司」。
こちらの店内は昔ながらの屋台風で、他では見ることのできない“蛇口付きのカウンター”が残る貴重なお店です。

寿司職人の増田茂さんは、戦後、衛生面の問題から寿司の販売を禁じられた期間があると教えてくれました。これにはお寿司が大好きな江原さんもビックリ。
関東大震災、第二次世界大戦という受難を乗り越えて今や「すし」は世界に通じる言葉となっていることに気付いた江原さん。

また、増田さんの父 憲治さんは89歳の現役寿司職人。
昭和33年に店を出す以前は、飴職人として働いたりパン店で働いたり…と様々な職業を経験。そして銀座の寿司店で修業を積み、ついに開業に至ったそうです。
しかし当時は朝の4時まで店を営業し、店を閉めるとそのまま築地へ足を運び仕入れ作業。
増田さんが小さい頃は父が寝ている姿を見たことがなかったといいます。

努力をしたから今がある。89歳のただならぬ勇姿に脱帽の江原さんでした。