ノバルティス ファーマ スペシャル もう一度会いたい 素顔の夏目雅子 ~親友・中井貴惠が時を訪ね行く・ ・ ・~

2010年3月28日(日)夜9:00~10:55放送

写真:田川清美/夏目雅子ひまわり基金

女優夏目雅子(小達雅子)が1985年突如として世を去って、ちょうど25年目。 女優としては9年にも満たない短い経歴である。 しかし私たちに今も鮮烈なきらめきと、忘れがたい強烈な印象を残している。急逝から四半世紀を経て、一向に衰えることのない夏目雅子の人気の秘密は、いったいどこにあるのだろうか? 番組は女優として、女として、そして一人の人間としての夏目の素顔を、親友の女優中井貴惠が時を越えて訪ね歩く。

【出演】中井貴惠 篠田正浩 立木義浩 田川清美 田中好子 小達一雄 ほか

夏目雅子の遺作となった瀬戸内少年野球団の、篠田正浩監督は日本の美人女優といわれる、原節子、田中絹代等気品のある清楚な女優の系譜に夏目は入るという。 しかし、夏目の像は「自由奔放」「勝気」「お茶目」「優しい」「気配りの人」「男っぽい」「大酒のみ」と様々なもう一面の素顔をのぞかせる。
1977年、夏目雅子19歳。化粧品会社のCM「OHクッキーフェイス」で一躍芸能界の寵児となった夏目雅子は、その美しさと明るさでテレビ、映画、舞台女優の道を一気に駆け抜けた。しかし27歳という若さで病に倒れ、夢をなかばに逝ってしまった。その儚い美しさは人々の胸の内にいつまでもとどまることになったのだ。

雅子の遺作「瀬戸内少年野球団」の篠田正浩監督と

女優中井貴惠と夏目の交友はわずかに2年。しかしおない年の中井さんと夏目は特別な友人となってゆく。中井さんのなかに残る夏目の姿は1984年12月、2回目の誕生会で別れた雅子の姿が今も残ったままだという。夏目の残した様々なエピソード。その一つ一つを紡ぎながら今もう一度「雅子ちゃん」の素顔に会いたいと中井さんはいう。 その中のいくつかのエピソードに中井さんは改めて自分のなかの「雅子」を確認してゆく。
「お嬢様」芸との評価に女優夏目雅子の挑んだ凄まじい気迫は「鬼龍院花子の生涯」で見事に花開く。
その秘話を当時のカメラマンや関係者の語る証言は、改めて夏目雅子の女優にかける姿を彷彿とさせる。

中井貴惠が雅子と出会った東映東京撮影所を訪れた

そしてもうひとつ、女としての夏目雅子を見ると、一途でいじらしい姿が随所に垣間見える。中井さんは夏目に「いつまでもぶらぶらしないで結婚しなさい」と言われたことを懐かしく、そしてうれしく思うという。
夏目雅子が短い新婚生活を送った鎌倉。今をときめく女優の新居としては質素なたたずまい。中井さんはその前に佇み、「雅子ちゃんは、いろいろあったけれども、一番好きな人と結婚出来て幸せだった」と思いをかみしめる。

雅子も歩いたであろう鎌倉の小路を行く

女優夏目雅子と接した人はだれもが、「優しさ」と「気配り」を持った夏目を偲ぶ。クッキーフェイスから夏目を見続けたカメラマン田川清美さんは夏目の気配りをこう語る。クッキーフェイスのロケから帰って、ある時二人で食事をした。その時まだ駆け出しのカメラマンだった田川さんに、そっとテーブルの下から会計のためのお金を手渡したのだという。「19歳の女の娘」がである。田川さんにとって夏目の心配りは、そのまま写真家としてのライフワークになった。今残る夏目の素顔の写真は田川さんの撮ったものである。

雅子がもっとも長く暮らした横浜・山手を訪ねる

様々の顔を持つ女優夏目雅子。その一つ一つがない交ぜになって人間夏目雅子の魅力をかもしだしている。
夏目雅子の母スエさんの著書「二人の雅子」で雅子は女優夏目雅子と娘小達雅子を見事に演じ切った、と述べている。果たしてそうなのか。中井さんは「女優夏目雅子と小達雅子」は同じですと断言する。
「女優として」、「女として」、「友として」、そしてそれを育んだ家庭。それぞれのなかにそれぞれの「雅子」がいる。
女優夏目雅子と小達雅子の駆け抜けた、思い出の人、思い出の地に、接して親友中井貴惠さんは、今改めて素顔の「雅子ちゃん」と出会うことになる。

仲人も務めたかまくら小花寿司の女将に
知られざる雅子を聞く

このページの先頭に戻る