青の宇宙史~フェルメールから北斎へ~

ダイワハウス presents 長崎の歌が聞こえる

番組概要

古くから、外国文化の玄関口として独自に発展してきた長崎には、「音楽の町」の一面も。歌を生み、育む長崎の風土とは?
ギタリスト・村治佳織が、長崎にゆかりのあるさまざまな音楽の物語を訪ね歩く。


日本が鎖国をし、外国との交流を絶っていた江戸時代。唯一海外に開かれていた港町・長崎。そこは、さまざまな西洋の音楽が伝わった“音楽の町”でもある。「長崎ぶらぶら節」「長崎の鐘」「長崎は今日も雨だった」など、長崎をモチーフにした名曲も少なくない。

今回、世界的に著名なギタリスト・村治佳織さんが、日本で初めて西洋文化を取り入れてきた町・長崎を訪れた。何百年も前にこの長崎で育まれてきた音楽とは? なぜこの町でさまざまな音楽が育まれてきたのか? 長崎の歴史・文化に精通し、“長崎歴史の生き字引”こと本田堅三さんから歌の物語のヒントをもらった村治さんは、「日本二十六聖人記念館」「グラバー園」「出島」をはじめ、長崎の名所に残る音楽の足跡をたどる。

キーワードは「長崎人気質」。外から入ってくるものを、拒否するのではなく、受け入れる素地がある長崎の地で、西洋音楽もまた、人々に守られ、受け継がれてきたという。
この地が育んできた味わい深い音楽や人々との出会い、旅情豊かな風景を堪能した村治さんは、自らギターを手にして演奏するのも聞きどころ。村治さんが感じた気持ちそのままに奏でられる音色と美しい風景。さぁ、歌が聞える町・長崎に一緒に出掛けよう。

放送内容




400年以上昔、長崎に響いていた賛美歌。村治佳織さんは長崎の坂を上り、聖フィリッポ教会に足を運んだ。美しいモザイクタイルが施された教会。聞こえてくる賛美歌。偉大な1人の建築家と長崎の人々が作り上げたものとは? 賛美歌と長崎の関わりから、番組は始まる。
佐世保で生まれた、日本初のワルツ「美しき天然」は、佐世保の海兵団の軍楽長が作曲した。誰もが1度は耳にしたことがあるあのメロディ。そして、この曲が100年以上たった今も、佐世保で愛され続けている理由に、ある1人の女性の力があった。
敗戦ムードが立ちこめる戦後の日本に、希望の光をもたらしたアメリカ人がいた。娯楽など何もなかった当時、日本人の教育改革を行うため、長崎にやって来た1人のアメリカ人。“男女席を同じうせず”の時代に、その担当官が日本人に教えたのは、なんとフォークダンスだった。誰もが楽しんだことのあるフォークダンスは、長崎から広がった。
1950年、朝鮮戦争が勃発。佐世保はアメリカ軍の拠点とされ、当時の佐世保の町は兵士であふれかえっていた。兵士たちが求めた娯楽は、ポピュラー音楽のジャズ。その昔、アメリカ兵を相手にジャズを演奏していた伝統が、今も佐世保には息づいている。
江戸時代、唯一の外国に向けた窓口・出島で、日本初のオペラが上演された。現在の出島は、江戸時代の町並みを忠実に再現し、保存されている。
また、長崎が舞台のプッチーニ作曲人気オペラ「蝶々夫人」を演じた、長崎ゆかりの幻のプリマドンナがいたことはあまり知られていない。大正時代、日本人オペラ歌手として名をはせていた三浦環(みうらたまき)は有名だが、実はもう1人、ヨーロッパで絶大な人気を誇った喜波貞子(きわていこ)というオペラ歌手がいた。17歳でヨーロッパに発ち、若干20歳で衝撃的なデビューを果たした。しかし、彼女の名前は日本ではあまり知られていない。彼女は渡欧後、一度も日本に帰国することなく、かの地でその生涯を終えた。運命を切り開き、また運命に翻弄(ほんろう)されながら一生を送った、知られざるプリマドンナの生涯とは? レコード会社の倉庫で発見された、喜波貞子の貴重な音源から、その歌声にも迫る。
そのほか、1582年に長崎を出港し、ローマ教皇やスペイン国王に謁見・歓待を受けた天正遣欧少年使節や、長崎県五島列島のある島との縁から生まれた荒井由実(松任谷由実)の歌う「瞳を閉じて」の物語を紹介する。

BS朝日・長崎文化放送共同制作