たくさんの「謝謝」中国大地震復興の軌跡

番組概要

中国から東北に贈られた一枚の絵をきっかけに、日本赤十字社の復興支援を紹介するスペシャルドキュメンタリー番組。
フォトジャーナリスト・渋谷敦志をナビゲーターとし、震災から立ち上がった中国・四川省の今を紹介する。

【フォトジャーナリスト】
渋谷敦志
1975年大阪府生まれ
15歳から一眼レフカメラで写真を撮り始める。
高校時代にベトナム戦争の写真を見てフォトジャーナリストを志す。現在は東京を拠点に、ケニア、アンゴラ、パレスチナなどを回り、紛争や貧困の地で生きる人々の姿を写真と言葉で伝えている。3月11日に起きた東日本大震災の被災地にもいち早く訪れ、その惨状と被災者たちの様子を伝えている。

99年MSF(国境なき医師団)フォトジャーナリスト賞、00年日本写真家協会展金賞、05年視点賞・視点展30回記念特別賞など受賞。

放送内容

復興はどこまで進んだのか?
そして日本赤十字社を通して日本の支援がどのような形で届いているのか?
フォトジャーナリスト・渋谷敦志のカメラは、四川の人々の"今"をどのように捉えるのか?






2011年3月11日に起きた東日本大震災。
去る7月、赤十字広報特使の藤原紀香が被災地を訪ねた。 
彼女が持参したのは中国の子供が描いた一枚の絵。
絵には、中国の子供たちが東日本大震災の被災者のために募金している様子が描かれていた。
そこには「日本に対して愛を伝える」というメッセージが……。

2008年5月12日午後2時28分。
およそ3年半前に中国・四川省で発生した巨大地震は死者・行方不明者約8万7000人以上、全壊家屋は450万戸、総被災者数は約4500万人以上にのぼる甚大な被害をもたらした。
日本赤十字社の復興支援活動の結果、四川の人々は生きる勇気と震災前の生活を取り戻しつつある……。 

そんな被災地・四川省綿竹市漢旺地区をフォトジャーナリスト・渋谷敦志が訪ねた。
現在でも残る震災の爪痕から、巨大地震恐ろしさを知るのだった。
次に渋谷が訪ねたのが、四川省巴中市南江県。
なかなか支援の手が届かなかったこの県の碾盤小学校も日本赤十字社の支援を受け復興を遂げている。
そんな学校に通う秦君さん。彼女は東日本大震災の被災地のために応援の絵を書いてくれた女の子。
どんな思いをこめて絵を描いてくれたのだろうか?

同じ学校で渋谷が会った少年、楊永軍。
震災前は、別の小学校に通っていたが、震災で廃校となり、自宅から歩いて半日もかかる碾盤小学校で寄宿生活を送っている。
週末、自宅に帰るという小楊とともに渋谷は自宅を訪ねた。
車も通らない山道をゆくこと半日以上。段々畑のなかにぽつんと建った一軒の農家が楊の家だ。
渋谷をもてなしてくれた楊の祖母は、孫が日本赤十字社の支援によって再興された学校に通えることに感謝の言葉を洩らす。
「ありがとう、ありがとう」と……。
小楊は渋谷に夢を語る。
「一生懸命勉強して先生になって、貧しい農村のこどもたちを教えたい」
フォトジャーナリスト・渋谷敦志のカメラは、笑顔を取り戻した四川の子供たちを捉える……。