ダイワハウス presents  踊る、オキナワ ~受け継がれる“琉球の魂”~

ダイワハウス presents 踊る、オキナワ ~受け継がれる“琉球の魂”~

番組概要

沖縄の人たちは、どうしてこんなに踊ることが好きなのか?
沖縄の人たちにとって、踊りとはいったい何なのか?
人々の暮らしとともに継承されてきた伝統の踊り、「組踊(くみおどり)」と「エイサー」から、沖縄の文化と“こころ”を読み解きます。

ナレーター:知念里奈

人間国宝の歌舞伎俳優・坂東玉三郎さんが、2013年3月、国立劇場おきなわに出演。沖縄の古典芸能「組踊」で、悲恋を乗り越える琉球国王の妹役を演じた。 歌舞伎俳優が組踊に挑戦するのは初めてのこと。玉三郎さんは、音階に乗せた独特の台詞回しや琉舞を、鮮やかな色彩の紅型(びんがた)をまとって披露し、沖縄の人たちから盛大な拍手が沸いた。 玉三郎さんが魅せられた組踊とはどんな踊りなのか?かつて琉球王国だった沖縄は、中国や日本本土の影響を受けながら、独自の南方文化をつくり上げてきた。そのひとつが“踊る伝統芸能”。古から芸能の盛んな沖縄は、琉球王国時代、躍奉行(おどりぶぎょう)という役人を置くほど、国をあげて踊る芸能に力を入れていた。

組踊は1719年、中国からの使者をもてなすために生まれた宮廷芸能で、首里城を中心におごそかに行われるようになった。組踊には琉球の古い言葉による芝居、音楽、舞踊の3つの要素があり、まさに琉球の美を集めた古典芸能として、日本(やまと)の能や狂言にあたる沖縄の格式高い舞台劇だ。様々な決まりごとがあり、それが今でもしっかりと受け継がれていることで、2010年にはユネスコの無形文化遺産に登録されている。

組踊が、沖縄の踊る宮廷芸能だとすると、一方には踊る大衆芸能がある。その代表が、お盆の時期に踊る「エイサー」だ。若者たちが歌と囃子に合わせ、踊りながら地区の道を練り歩く。その起源は、400年前。もともと東北の僧侶が仏典を踊りながら唱えた念仏歌が起源で、遊行芸人たちが村々に広めたとされている。 沖縄で最も伝統的なエイサーの型を継承している町がある。那覇から北へ約100km、北部に位置する本部町である。本部町のエイサーは「手踊り」と言われ、沖縄全土でもごくわずかな地域でしか残されていない。エイサーの原型である念仏踊りの動きを受け継いでいて、“見せる”より“先祖の供養”の意味合いが大きいそうだ。そんな本部のエイサー踊りとは、どんなものなのか? 去年(2013年)のお盆、8月21日の旧盆送り(ウークイ)に訪れ、人々の暮らしに根付いた沖縄ならではの踊り、エイサーを紹介する。

沖縄県・中部のうるま市。ここにもエイサーを継承する若者たちがいる。平敷屋西(へしきやにし)青年会は、毎年、夏前になると毎晩のように厳しい練習を続けている。ここも念仏踊りとしての色が濃く、旧盆の最終日(ウークイ)に町の人々の見守る中、神社の前で披露される。この地域に200年も前から受け継がれてきた伝統の儀式だ。平敷屋のエイサーは、パーランクー(手太鼓)を中心にした踊りとして有名だ。青年会の会長・仲本剛志さん(25)は言う。「エイサーをやるというのは、平敷屋に生まれたときから運命付けられている」と。25歳を過ぎたら後輩にバトンタッチするのが慣習となっている。

平敷屋のエイサーは、その技術の高さ、念仏踊の型を残す伝統エイサーゆえ、30万人以上の観客が集まる沖縄最大のエイサーまつりに毎年選ばれている。去年8月30日~9月1日に行われた「全島エイサーまつり」の最終日には、全島から選ばれた15チームが、それぞれの地区の伝統ある踊りを披露した。踊りに燃える沖縄の夏、そのクライマックスだ。

2000年3月、うるま市勝連地区に新たな踊りが誕生した。中高生たちによる現代版組踊「肝高の阿麻和利(きむたかのあまわり)」。古典芸能・組踊を現代風にアレンジ。踊り、音楽、芝居、沖縄のすべての踊りの要素が組み込まれたミュージカルで、そのどれをとっても圧倒的な力強さと一体感を成している。中高生たちは踊りを通して、仲間たちの絆を深め、地元で生きる喜びを学び、故郷を愛する心を育んでいる。若い世代に宿った“琉球の魂”が、見る人のこころを揺さぶる。