山口淑子 激動の半生~わが内なる李香蘭~

特番/スペシャル紀行/ドキュメンタリー
BS朝日開局10周年 アーカイブ・セレクション 山口淑子 激動の半生~わが内なる李香蘭~

出演

山口淑子
1920年2月12日中国・撫順に生まれる。本名・大鷹淑子。1938年、中国人女優・李香蘭として映画デビュー、瞬く間に日本と満州の銀幕のスターへと駆け上がっていった。戦後は山口淑子の名で再デビューする。アメリカの世界的彫刻家イサム・ノグチの妻としてハリウッドへ渡り、“シャーリー山口”として映画・ミュージカルで活躍。ノグチ氏と離婚後の1958年、外交官の大鷹弘氏と結婚。その後、キャスターとしてジャーナリストとしてブラウン管に登場、1974年から参院議員を3期務めた。

番組概要

北京の胡同にて、満州国皇帝・溥儀の弟、溥任氏と1972年の日中国交回復から30年目にあたる 2002年2月、戦前の中国で最も名を知られた女優・李香蘭が、生まれ故郷を訪れた。
“李香蘭”こと山口淑子は1920年、中国の撫順(現在の瀋陽)に生まれた。父親は、満州鉄道の高級職員であった。当時の中国では、親しい家族同士で義理の血族関係を結ぶ風習があり、山口淑子は、父の親友で軍閥の李際春の養子となり“李香蘭”と名付けられた。
1932年、日本の傀儡(かいらい)政権国家である「満州国」が建国されると、中国語と日本語を話し歌も歌える美貌の少女・李香蘭は、日本の国策会社・満州映画協会にスカウトされ、満州のみならず、中国全土でスターになる。彼女は日本と中国の架け橋となるために、中国人を装うように厳命されていたのである。日中戦争の際も、日本人でありながら中国人であると偽り、彼女は苦悩の日々を過ごす。敗戦後は、漢奸(中国人の売国奴)の容疑で、あわや銃殺刑となるところを日本人であることを証明され、辛くも引き揚げ船で帰国。戦後は山口淑子の名で再デビューし、女優、ジャーナリスト、参院議員として活躍する。
番組では、山口淑子の中国の旅を中心に、翻弄されながらも、たくましく自らの人生を切り開いていったその半生をたどり、彼女にとっての日本、中国、戦争を振り返る。“李香蘭”の名を捨ててから55年、彼女が通ってきた道の最終確認をするための旅…。本人のインタビューと、かつての満州映画の仲間たちの証言を交え、それぞれの心の中に宿る激動の時代を駆け抜けた女優・“李香蘭”とは何だったのかを解き明かしていく。

  • 北京の胡同にて 満州国皇帝 溥儀の弟溥任氏

  • 李香蘭・中国最後のコンサートを見た鄭徳仁氏