SHISEIDO presents エコの作法
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2013年4月12日・26日放送
「生きる×土」 

地球全体を覆い尽くす「土」は、英語では地球と同じく「アース(Earth)」
大地はさまざまな生命を育み、私たち人間の命を支えてくれます。
縄文の昔、私たちが道具を作ろうと手に取ったのは土でした。
土という素材を発見したことで、私たちの暮らしは豊かになっていったのです。
あらためて考えてみれば、日本の伝統的な暮らしは多くの土に支えられています。

栃木県益子町。益子焼きで知られる陶器の里です。益子の土は、器の形に成型しやすく耐火性もあります。しかし、キメが粗く、粘りが少ないため、繊細な陶器には向かないと言われています。そのため、益子焼きは分厚い、ぼってりした形。しかし、それが温かみを感じさせ、益子焼きの魅力となっています。
かつて、益子の分厚い器は、大量生産の日用品がほとんどでした。
しかし、そのイメージを変えたのが、人間国宝の陶芸家・濱田庄司です。浜田は柳宗悦らと民芸運動を展開。手仕事の日用品の中に「用の美」を見いだしました。益子の土の性質を生かした素朴な器…。おおらかな生命感に溢れています。濱田のこうした作品の魅力によって、それまで日用品としかみなされていなかった益子の器に光が当たり始めたのです。
実は濱田庄司は、もともと益子の人間ではありません。東京に生まれ、各地で陶芸を極めた後、益子にやってきました。以来、益子は他県から来る陶芸家を歓迎するようになりました。窯元は現在400近くあります。さまざまな土地からたくさんの若手作家が集まり、みなそれぞれの方法で、土の可能性を引き出そうとしています。

家庭ではあまり見かけなくなった七輪。しかし、エコへの関心が高まる中、通常の調理器具としても、また防災用として再び、注目を集めています。強い火力の秘密。それは七輪の材料である「土」の種類にあります。
石川県珠洲市。ここ珠洲市には20億トン以上もの珪藻土が市内全域に広がっています。まさに珪藻土の上に乗っかった町…。
珪藻土とは、珪藻と呼ばれる植物性プランクトンの殻が海底などに沈殿し、堆積してできた土。能登半島先端の地層は、ある時、大量に発生した珪藻が数千万年の時をかけて堆積したものです。
そんな珠洲では、この珪藻土を利用して、七輪が作られています。江戸時代から続く、この町の地場産業。能登の珪藻土で作られた七輪は、遠赤外線を放出し、火力が強いことで知られます。珠洲の珪藻土は特に純度が高く、細かい粘土質の多い土。そのため、七輪を作るのに最適な素材とされてきました。江戸時代以来、土の塊をそのまま削って作る「切り出し七輪」です。大地の歴史が生んだ能登の七輪は食べ物も美味しく、土に還る人と自然にやさしいエコな道具。

日本の家は、木と紙と「土」でできています。
「土壁」。竹で骨組みを作り、何層もの土を塗り重ねて仕上げる壁です。
夏は涼しく、冬暖かい。そして、美しい…。日本の気候風土に合った土壁も今では随分減ってしまいました。
京都は実は古来さまざまな種類の土が産出した場所。その土を使って、京都では様々な美しい壁が作られました。
国の重要文化財「島原角屋」。
網代の間の壁は、黄色。これは伏見桃山で採れた桃山土。
華やかな扇の間の壁は青みの強い「浅葱土」。おもに、伏見の大亀谷近郊で採れる土。
廊下の壁は、伏見あたりで採れる稲荷山黄土という土。
「青貝の間」の壁には京都の九条周辺で採れた九条土が使われています。
実は今でも、京都のアスファルトの下には、こうした色土が眠っています。
土は、もっとも身近な「地産地消」なのです。

ブラウンズフィールド

http://www.brownsfield-jp.com/

公益財団法人 濱田庄司記念益子参考館

栃木県芳賀郡益子町益子3388
TEL:0285-72-5300
http://www.mashiko-sankokan.net

有限会社丸和工業

石川県珠洲市正院町平床立野26
TEL:0768-82-5313
http://www.suzu.co.jp/maruwa/

島原角屋

公益財団法人 角屋保存会
京都市下京区西新屋敷揚屋町32
TEL:075-351-0024
http://www16.ocn.ne.jp/~sumiyaho/

渉成園 築地塀

京都市下京区下珠数屋町通間之町東入東玉水町
TEL:075-371-9210

東本願寺 なまこ壁

京都府京都市下京区烏丸通七条上る
TEL:075-371-9181

しっくい浅原

京都府京都市山科区大宅沢町185
TEL:075-581-1764

エバレット・ブラウンさん


<プロフィール>
一九五九年、アメリカ、ワシントン生まれ。epa通信社フォトジャーナリスト。
十四歳でプロの写真家の道に入り、十六歳でユージン・スミス氏との出会いをきっかけにフォト・ジャーナリストになることを決心。アメリカで文化人類学、日本、中国で代替医学などの勉強を経て世界の六大陸五十カ国以上を旅する。一九八八年から日本定住。タイム、ニューズウィーク、ニューヨーク・タイムズ、ロンドン・タイムズ、ル・モンド紙など国内外の主要なメディアで定期的に作品を発表している。ドイツのGEO誌で「ピクチャー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれたほか、世界的な写真展「M.I.L.K. Moments of Intimacy, Laughter & Kinship」で入賞。作品展の開催も多数。妻でマクロビオティック研究家の中島デコ氏と共に、千葉県いすみ市に田畑付き古民家スペース「ブラウンズフィールド」を運営している。