SHISEIDO presents エコの作法
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バックナンバー

2013年10月4日・25日放送
「紡ぐ×絹」 

艶やかで高貴な絹。白い繭からうまれる細い糸。それは、日本の歴史を支えてきました。
絹に想いを巡らせる。するとそこには、奥深い世界が広がっていました。それは、この国の美しさと、私たちの感性を形作るもの…。

天の虫と書いて、「蚕」。その恵みは、まさに天からの贈り物。蚕が吐き出す糸は、髪の毛の4分の1の細さ。この小さな繭ひとつで、なんと1500mもの長い糸になります。
天然のタンパク質で出来ている絹。今の技術をもってしても作る事の出来ない優れた機能をもつ素材です。この繭糸からつくられる、生糸。乾燥させた繭は熱湯で充分に煮ると、表面が柔らかく緩みます。その繭の表面から、ほうきのようなブラシを使ってもつれた糸を数本ひきだし、その中から一本の糸口を探し出す。そうして繭糸を十数本束ね、一本の丈夫な絹糸にするのです。
繊維の中に細かな空気を含む絹は吸水性もよく、軽くてあたたか。そのうえ、染めると発色もいい!絹本来の光沢とあいまって深みのある美しい色を放ちます。
日本では絹の特徴を活かして美しい着物文化が育まれました。

茨城県結城市。城下町の名残を今に伝えるこの町は、江戸時代から絹織物の産地として全国にその名を知られてきました。その織物こそ、結城紬です。
訪ねたのは明治40年創業の産地問屋・奥順。いまや高級着物として人気の高い結城紬。そのルーツは意外にも農民の野良着です。結城紬は本来、捨てられるクズ繭から糸を紡いで仕立てられたのです。糸を作るところから織り上げるまで、今でもそのほとんどが手仕事によって作られています。貴重な作り方を今も受け継いでいる文化として、結城紬は2010年ユネスコの無形文化遺産に登録されました。
軽くてあたたか、しかも丈夫でやわらかい。そんな絹のよさを自分たちも身にまといたい。結城紬は農民の憧れから生まれた知恵と技の結晶でした。その良さは時間が経てば経つほどにじみ出てくるといいます。
では、なぜ唯一、結城紬だけがユネスコの無形文化遺産に登録されたのでしょう?
そこには、"手作りの極み"とさえいえる職人さんたちの「手仕事のリレー」がありました。最初の手仕事は真綿をつくるところから。真綿掛けといわれる作業。その真綿から糸をとるのが「糸紡ぎ」。細い繊維を引き出し、撚らずに一本の糸にする。この「撚らない糸」は世界でもおよそ類を見ないものだといいます。
人の手でしか作る事の出来ない手紡ぎ糸。常に同じ細さで紡ぎ続けるのは至難の業です。紡ぎ終えた糸は「綛揚げ」という作業で一定の長さに束ねます。こうすることで糸が絡むのを防ぎ、扱いやすくなるのだとか。
できあがった絹の紡ぎ糸。でも、布になるまでにはまだまだ手仕事のリレーが続きます。もともとは無地で、男性の着物だった結城紬。江戸初期には縞柄が明治初期には絣の技術がうまれると女性ものとしても人気を集めます。経糸と緯糸を交互に織りあわせる「平織り」でつくられる結城紬。「縞柄」は経糸の一部に、色の違う糸を使ったもの。絣は、柄に合わせて染め分けた糸を経糸と緯糸に使う複雑な技術です。そのために欠かせないのが絣糸。1本の糸の中で染めた部分と、染めていない部分のある糸です。糸の準備ができたら、いよいよ機織り。糸の作り方にはじまり、機織りもまた先人の知恵と技を今に伝えるもの。結城紬を織るのに使われるのは1500年ものあいだ変わらない機織り機「地機」。経糸の端を腰に結びつけ、張り具合を体で調整するのです。糸に負担をかけない織り方で、こうすることで弾力のある、やわらかな独特の風合いを生み出します。
丁寧な心と手仕事の技がまるで経糸と緯糸のように織りなす結城紬。それは身にまとうことでこれから先も紡がれていくのです。

岩を砕いた「岩絵の具」。牡蠣の貝殻から取った「胡粉」。日本画の画材はどれも自然素材。さらに和紙よりも早くからキャンバスとなったのは絹の布。「絹本」と呼ばれるものです。
東京・広尾、日本初の日本画専門の美術館として開館した「山種美術館」。コレクションは近代日本画壇を代表する巨匠の作品を中心に、現在1800点あまり。速水御舟の「炎舞」。重要文化財でもあるこの作品は絹本に描かれました。こちらも速水御舟の作品「紅梅、白梅」日本画のもうひとつの特徴、「余白」が活かされた作品です。
千年以上の歴史を持つ日本画の中でも絹の上に筆を乗せ描く「絹本」は古典手法。だからこそ絹本でしかない味わいがある、と絹に作品を描く若き画家がいます。
今注目を集める日本画家の一人、渡邊さん。透き通るような肌。子供のあどけなさと危うさ。そのイメージを的確に表現できるのは絹本でした。
日本画にみる繊細な日本人の美意識。それは千年経っても絹の上に描かれるのです。

秋の夜に聞こえる琴の音。和楽器が奏でる日本の音。和楽器と絹。そこには深い関係がありました。
琴、琵琶、三味線。日本の絹で奏でられる日本の音。昔ながらの方法で弦を作る「丸三ハシモト」を訪ねました。こちらが和楽器の弦。楽器によって長さ、太さも様々。なんと三味線だけでも…200種類!!長唄、地唄、津軽、清元など三味線によってそれぞれ弦が違うのです。
その弦の違いは太さ。そのための特別な工程が「目方合わせ」。弦の太さは、生糸の重さを揃えることで決まります。束ねた生糸を湿らせたら、次は最も大事な工程「撚糸」。糸を撚って、一本の弦にしていきます。糸に結びつけているのは重りの役目をする独楽。自転車のタイヤを貼った板で独楽を回転させ糸に撚りをかけていくのです。無理に力やスピードをかけず糸を丈夫に撚るにはこの方法が一番。糸の表面のたんぱく質セリシンのおかげで、乾いても撚りが戻ることはありません。撚糸を終え、かせに巻き取ったら…次は弦のお化粧「染色」。ウコンの粉で黄色く染めていきます。ウコンで染めるのは防虫のためとも、色が美しいためとも言われています。そして「染色」と同時に行われるのが「糊作り」です。その糊を濾して釜に入れ・・・次は「糊煮込み」。糊が糸と糸の間に浸透して糸同士がくっついて更に強度を増すのです。そして、ここからはスタッフ総出の大仕事。糊がやわらかいうちに、やり終えなければならない「糸張り」が始まるのです。弦はさらに、いくつかの工程を経て完成。でき上がるまでに二週間を要します。
奥深く、つややかな日本の音。それは日本の絹でしか生み出せない響きだったのです。

身にまとうだけではない、絹。小さな繭からは様々な日本の絹文化が紡がれていました。
この国の歴史や文化に深く根ざした絹。日本の近代化の幕開けを担ったのも絹でした。明治政府が作った富岡製糸場は、当時世界最大規模の製糸工場。その操業は経営者が変われども昭和62年まで続きました。
かつて日本を支えた絹産業は、今、私たちの周りからその姿を消しつつあります。蚕という天からの授かりものを人の知恵と技が紡いだ繊維、絹。この秋、その柔らかさに触れてみる…。それは、日本の文化を未来へ繫ぐ一歩になるかもしれません。

奥順株式会社

〒307-0001
茨城県結城市大字結城12-2
TEL:0296-33-5633

http://www.okujun.co.jp/

外山織物

〒307-0001
茨城県結城市大字結城3158
TEL:0296-33-2284

山種美術館

〒150-0012
東京都渋谷区広尾3-12-36
TEL:03-5777-8600

http://www.yamatane-museum.jp/

丸三ハシモト

〒529-0425
滋賀県長浜市木之本町木之本1049番地
TEL:0749-82-2167

http://www.marusan-hashimoto.com/

宮坂製糸所

〒394-0023
長野県岡谷市東銀座二丁目13-28
TEL:0266-22-3116

http://www.lcv.ne.jp/~msilkpro/

富岡製糸場

〒370-2316
群馬県富岡市富岡1-1
TEL:0274-64-0005

http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html

ナターシャ・グジーさん


<プロフィール>
ウクライナ生まれ。民族楽器バンドゥーラの音色に魅せられ、8歳の頃より音楽学校で学ぶ。1996年・98年救援団体の招きで民族音楽団のメンバーとして2度来日。2000年より日本語学校で学びながら日本での本格的な音楽活動を開始。その美しく透明な水晶の歌声と哀愁を帯びたバンドゥーラの可憐な響きは、日本で多くの人々を魅了。コンサート、ライブ活動に加え、音楽教室、学校での国際理解教室やテレビ・ラジオなど多方面で活躍している。