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報道・ドキュメンタリー
地球クライシス ~気候危機 転換への道しるべ~生態系の異変!最前線&再エネの未来 第9弾
地球クライシス ~気候危機 転換への道しるべ~ 生態系の異変!最前線&再エネの未来 第9弾
2024年 3月31日(日)よる9:00~11:00
旅・くらし
飲み込みやすい料理の教室 川端恵里(かわばた・えり)48歳
未来につなぐエール
2024年3月31日(日)よる6:54~7:00
「越木岩神社の椿まつり」
#274
暦に集う
2024年3月31日(日)よる8:54~9:00
高田将吾 一般社団法人Cleanup & Coffee Club
#465
fresh faces
2024年3月30日(土)よる8:54~9:00
スポーツ
齋藤梨衣(射撃競技)× 神奈川県鎌倉市
#130
ジモト魂~アスリートたちの原点~
2024年3月30日(土)よる11:55~深夜0:00
マルチチャンネル編成
2024年4月からメインチャンネル(151ch)とサブチャンネル(152ch)で番組を同時に放送する「マルチチャンネル編成」を開始します。
BS朝日無料見逃し配信
放送終了後、期間限定で無料配信中!見逃し配信はTVerで!
「フェラーリ特集回」全28話を配信
最新話以外の「カーグラフィックTV」を配信で視聴できるのは「U-NEXT」だけ!
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今回は、11月のマンスリースペシャル。フェンシグ選手の宮脇花綸さん、サッカー選手の鮫島彩さん、中澤佑二さん、元ショートトラック・スピードスケート選手の勅使川原郁恵さんの放送をプレーバックするとともに、未公開映像を交えて、その輝きの秘密をさらにひも解きます。 9月のアジア大会のフルーレ団体で史上初の優勝に貢献するなど、東京五輪でのメダルも視野に入ってきた宮脇さん。ですが、16年リオ五輪出場を逃した後は選手としての自分を見失い、苦しんだ時期がありました。スランプから抜け出すきっかけとなったのは、19歳で始めた1人暮らし。景色と意識が変わったといいます。 鮫島さんは、“なでしこブーム”の光と影について語ります。2011年のW杯優勝後、突如高まった日本の女子サッカー人気。それに伴い、結果を出せない時には容赦のないブーイングが浴びせられるようになりました。しかし、そんな「今までに経験したことがない景色」を通して、人生が豊かになったと鮫島さんは振り返ります。 中澤さんは、スタッフが用意した写真の中から「一番、自分らしいもの」を選びます。W杯の悔しさや歓喜、若手時代の奮闘など、激闘の歴史を切り取った写真の中から、熱弁を繰り広げながらチョイスしたものとは? また「ワールドカップの凄さを女性に優しく説明するとしたら?」という質問に対する答えも必見です。 現在は「ヘルスケアスペシャリスト」として活躍している勅使川原さんですが、現役時代は五輪に3大会連続で出場し、メダルにもあと一歩に迫ったショートトラックの第一人者。当時、意識して挑戦していたのは「ショートトラックをメジャーにする」ことだったといいます。そしてその気持ちは「スポーツの楽しさを伝えたい」という今の活動や想いに通じていました。
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Kiichi Matsumoto/Number
Kiichi Matsumoto/Number
Kiichi Matsumoto/Number
Shigeki Yamamoto/Number
今回は、11月のマンスリースペシャル。フェンシグ選手の宮脇花綸さん、サッカー選手の鮫島彩さん、中澤佑二さん、元ショートトラック・スピードスケート選手の勅使川原郁恵さんの放送をプレーバックするとともに、未公開映像を交えて、その輝きの秘密をさらにひも解きます。
9月のアジア大会のフルーレ団体で史上初の優勝に貢献するなど、東京五輪でのメダルも視野に入ってきた宮脇さん。ですが、16年リオ五輪出場を逃した後は選手としての自分を見失い、苦しんだ時期がありました。スランプから抜け出すきっかけとなったのは、19歳で始めた1人暮らし。景色と意識が変わったといいます。
鮫島さんは、“なでしこブーム”の光と影について語ります。2011年のW杯優勝後、突如高まった日本の女子サッカー人気。それに伴い、結果を出せない時には容赦のないブーイングが浴びせられるようになりました。しかし、そんな「今までに経験したことがない景色」を通して、人生が豊かになったと鮫島さんは振り返ります。
中澤さんは、スタッフが用意した写真の中から「一番、自分らしいもの」を選びます。W杯の悔しさや歓喜、若手時代の奮闘など、激闘の歴史を切り取った写真の中から、熱弁を繰り広げながらチョイスしたものとは? また「ワールドカップの凄さを女性に優しく説明するとしたら?」という質問に対する答えも必見です。
現在は「ヘルスケアスペシャリスト」として活躍している勅使川原さんですが、現役時代は五輪に3大会連続で出場し、メダルにもあと一歩に迫ったショートトラックの第一人者。当時、意識して挑戦していたのは「ショートトラックをメジャーにする」ことだったといいます。そしてその気持ちは「スポーツの楽しさを伝えたい」という今の活動や想いに通じていました。