SAMURAI エール

SAMURAI エール

  • トップページ
  • バックナンバー

バックナンバー

2014年5月10日
〝孤高のファンタジスタ〟
水沼貴史が、日本代表に送る、SAMURAIエール・・・

「目標としていた場所だったので本当に嬉しかった。」
日本代表デビュー当時をこう振り返る水沼貴史。
卓越した技術を持ち、当時の世代を代表する"ゲームメーカー"と呼ばれていた。しかし、「〝守備の出来ない選手はいらない〟って言われて、代表を外されたことがあった。もう自分はだめかと」。
代表入り・代表落ちを繰り返すことになる水沼。しかし彼は、自分のストロングポイントである攻撃力にこだわり続けた。 水沼が考える日本代表とは、「日本のサッカー、代表に選ばれなかった選手、ファン、国まで背負って戦うのが代表。その誇り、プライドをグランドの上で表現しなければならない。」
"自分のスタイルを貫いた男"水沼貴史が日本代表に送るエールとは・・・

水沼 貴史(みずぬま たかし、1960年5月28日生まれ)

浦和市立南高在学時に全国制覇を経験。法政大を経て日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)に入部。
テクニック溢れるドリブルや技術の高いプレーで、ウイングや攻撃的MFとして活躍し、金田喜稔、木村和司らとともに日産の黄金時代を築いた。同時期の1984年から1989年の5年間、日本代表として活躍した。
Jリーグ開幕後はベテランとしてマリノスをけん引し、1995年に念願のJリーグ初優勝を果たし、その年に現役を引退した。
国際マッチ、32試合出場7得点。