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#128

熱中ゲスト:ものまねタレント コロッケ(前編)

ゲストは芸能生活38周年を迎えたものまねタレントのコロッケさん。300種類以上あると言われているレパートリーのなかから数々のものまねをスタジオで披露します。19歳で熊本から上京し、華々しいデビューを果たしたものの、実は、そのものまね人生は波乱の連続でした。コロッケさんのものまねへのこだわりと熱き想いを2週にわたって伺います。

“五木ロボット”の誕生秘話

ものまねタレントの代名詞と呼ばれるコロッケさん。スタジオでは五木ひろしさんに、“五木ロボット”というものまね芸がどうやって誕生したかを話したときのリアクションやちあきなおみさんに会いに行ったときのとっておきのエピソードを明かします。

若手に伝えたい想い

2016年、東京・麻布十番にオープンした「コロッケミミックトーキョー」。コロッケさんが総合プロデュースを務めるこのものまねエンターテイメントライブレストランは、“ものまね業界を盛り上げたい”“後輩の育成の場がほしい”という思いから作られました。スタジオでは若手に対し、ものまねにはダンスや歌、日本舞踊など様々な芸を取り入れて総合エンターテインメントを目指すべきという思いを語り尽くします。

人見知りの激しい内向的な少年時代

物心がつくまえに両親は離婚。子供のころは、人見知りの激しい内向的な少年でした。母親と姉との3人家族で生活は苦しかったものの母親は底抜けに明るく、いつも笑いが絶えなかったといいます。家では姉の奈帆子さんとテレビから流れる歌手のふりを見よう見まねで覚えました。番組では今回、コロッケさんの故郷、熊本で姉の奈帆子さんと中学の同級生が懐かしい思い出を語ってもらいました。

被災地でものまねをする意味を実感

東日本大震災、そして、熊本地震のとき、炊き出しの手伝いやものまねを披露して被災した人々に寄り添ってきたコロッケさん。最初は、被災地でものまねをやるつもりはなかったと言います。しかし、ものまねを披露することで人の役に立つことができることを実感したと言います。さらに、笑いを届けることの意味について話しているとき思わず涙が…。お見逃しなく。

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手軽でおいしい 人気のレトルトカレーベスト5

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ランキングでは東京自由が丘にあるオリジナルレトルトカレーの店を取材
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ものまねタレント コロッケ
1980年8月、NTV「お笑いスター誕生」でデビュー。TV・ラジオ等に出演する傍ら、全国各地でのものまねコンサート及び、東京/明治座、名古屋/御園座、大阪/新歌舞伎座、福岡/博多座などの大劇場での座長公演を定期的に務める。現在のものまねレパートリーは300種類以上となり、ロボットバージョンやヒップホップダンスとの融合、落語にものまねを取り入れた「ものまね楽語」、さらにはオペラやオーケストラとのコラボなどエンターテイナーとして常に新境地を開拓している。海外においても、アメリカ・ラスベガスをはじめ、全米各地、中国、韓国、オーストラリアでの公演で大成功を収めた。浅草芸能大賞・新人賞、ゴールデンアロー賞・大賞及び芸能賞、‘13年には松尾芸能賞・演劇優秀賞を受賞し、映画やドラマなど俳優としての円熟度を増し、アニメや海外ドラマの声優としても活躍の場を広げている。永年にわたり、ものまねタレントとして芸術文化の振興に貢献した功績が認められ、‘14年文化庁長官表彰を受賞。’16年には「ものまねタレントの代名詞的な存在になり、唯一の特徴をデフォルメする独特のパフォーマンスはピカソの領域にまで達した」と、日本芸能大賞を受賞した。また、芸能活動の傍ら、東日本大震災の被災地支援活動を精力的に行い、’12年防衛省防衛大臣特別感謝状を授与された。