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安田純平さんが語った“拘束”3年4か月の過酷

内戦状態のシリアで3年4か月拘束されたジャーナリスト・安田純平さんが2018年10月25日に帰国した。1週間ほどの入院を経て、日本記者クラブで記者会見した安田さんは、11月4日の『日曜スクープ』に生出演、拘束生活の実態を語った。ゲストの国際政治学者の高橋和夫さんは、安田さんの証言について「各国の政策に影響を与える可能性もある」と、その重要さを指摘した。

安田純平さんが語った“拘束”3年4か月の過酷

山口:
安田さん、本当に無事に戻られて良かったなあと思っているんですけれども、テレビで見ているよりも実際にお会いして・・・だいぶ痩せられたんですよね?

安田
そうですね。獄中、ほとんど運動できなくて、最後の半年ぐらいは部屋の中を歩くだけはできたんですけども、筋肉がすっかり落ちてしまいまして。

山口
おととい記者会見をして、夜遅くまでテレビ出演されていました。だいぶお疲れになったんじゃないですか?

安田
そうですね。体力がなくて、すぐ疲れてしまうので。

大木
飛行機の中で、日本に着いたら日本食のおいしい物を食べたいとおっしゃっていましたが、何か召し上がりましたか?

安田
1週間いましたので、いろいろと。

大木
特に美味しいなと、沁みた料理は?

安田
お魚

山口
きょう本当にお疲れのところ申し訳ないんですが、お付き合いください。そして高橋さんにお伺いしたんですけれども、記者会見で安田さんがおっしゃっていた内容、これは中東の専門家の立場から見ても、やはり貴重な情報がたくさんあったと思うんです。いかがですか?

高橋
おっしゃる通りです。安田さんが、望まれたのではないのですけれども、40か月間も内側から、シリアの反体制側をご覧になられました。その実情の詳細に興味を覚えます。後から詳しくお話をうかがいたいと思いますが。やはりウイグル人がいるという証言が貴重です。前から報道されていたのですけれども、実際に本当にいるのが安田さんによって確認されたわけです。あるいは収容されていたのが大きな施設だったという発言も、人質「ビジネス」の実態を伝える情報かと判断されます。まずシリアの現代史に関する記録として評価したいと思います。そして次に、安田さんの伝えた反体制側の実態が、これから各国の政策に大きな意味を持つかも知れないですね。特にウイグル人の活動などについては、中国、アメリカ、トルコが強い興味を覚えると思います。アメリカのシリア研究者の間では、既に安田さんの証言を踏まえての議論が始まっています。神々は詳細(細部)に宿るといいますけど、詳細な情報の持つ説得力を感じさせる証言だったと思います。そして、それが世界を動かす力となるかも知れません。

山口
そして記者会見では川村さんが隣に座って司会をされていたんですよね。川村さんも中東情勢大変お詳しいんですけれども、実際お話伺っていてどうでしたか?

川村
私も36年前にイラン・イラク戦争でイラク、イランの国境をずっと取材して以来ずっとウォッチしていますけれど、ますます悪くなっているなと。当時は国と国との戦争ということでしたけど、今回は国の中における宗教の争いが入ってきてスンニ派の一部の人たちが
これだけ過激になっているということはやっぱり安田さんが帰ってきてくれたおかげで詳細が明らかになっている。これからもこの貴重な情報はある意味では日本のジャーナリスト、あるいは世界に向けての発信としては極めて大きな意味を持つと思いますね。

山口
3年4か月、まずは安田さんがどういう足どり、どういう所を転々とさせられたのか、そこをしっかりと確認していこうと思っています。まず始まりは2015年6月15日でした。トルコの南部、アンタクヤという街で安田さんは子供たちの取材をしていたんですね。そしてこの街にはちょうどシリア人のガイド、安田さんが最初シリアに入るときに頼ろうとしていたガイド、ムーサ・アムハーン氏という人物が住んでいたんです。このムーサ・アムハーン氏というのは、2015年にイスラム国に拘束されて殺害されてしまいました、後藤健二さんのガイドも2013年に務めていたという人物なんですね。そして彼の提案で2015年の6月22日です。国境の街、カルビヤズという村に行って、そしてシリアを目指すということになったんですね。まず安田さん、カルビヤズですが、ここを通っていくルートというのはジャーナリストだったり、人道支援団体だったり皆さんがよく使う場所なのでしょうか?

安田
この当時、ジャーナリストは現地にほとんど入っていなかったんですよね。この時期トルコ側が国境を厳しく取り締まっていて、ほかの場所ではトルコ側に入ろうとして銃撃されるとかいうことも起きていて、それでこの地域に比較的に集まっていたのかなという印象はありました。

山口
高橋さんはこのカルビヤズという町、シリアへ入国の街の拠点として聞いたことありますか?

高橋
いや、その地域がシリアに入るルートになっているというのは存じ上げていたんです。そのカルビヤズという小さな村自体は聞いたことがなかったです。

山口
そしてですね、このカルビヤズという村には同行した人物がいるんですけれども、それが実は元々お願いしていたムーサ・アムハーン氏ではなくて、このムーサ・アムハーン氏のいとこの紹介だというマムーン氏。マムーンという男性とこの場所でこの村で合流したということなんですね。そして6月の22日の深夜、夜遅くですね。こちら、国境付近です。ここで大きな、今振り返ると大きな出来事があったということになるんですね。この時、この場所でマムーン氏は国境を越えてシリア側の迎えの状況を確認しに行くと言って、実は安田さんから離れてしまった。つまり安田さんが1人になってしまったわけですね。そこで不測の事態が起きました。想定外です。たくさんのシリア人が国境を越えてやってきました。さらにこの多くのシリア人をトルコ側に送ってきたシリア人2人が「じゃあシリアにこれから行こうか」と言って、安田さんに話しかけてきたということなんですよね。まさにここの判断というのが安田さんが3年4か月拘束されるきっかけになるわけですが、この時の判断、今どんなふうにお感じになっていますか?

安田
これもう決定的なミスですね。決定的であり、初歩的なミス。深夜、マムーン氏、ガイドがいなくなって、かなり長い時間、待たされていて、暗闇の中ですね。そこでこの判断を誤ってしまった。もう初歩的なミスですね。

山口
そして実は、そもそもお願いしていたムーサ・アムハーン氏なんですが、安田さんが拘束されたおよそ半年後、2016年1月の時点で状況を話しているんです。そのVTRがあります、ご覧ください。

ムーサ・アムハーン氏のインタビュー
安田さんは午後11時にシリアの国境を越えました。30分後、いとこに紹介してもらったマムーンさんから電話があり、「ヌスラ戦線に安田さんが連れ去られた」と言われ、その後、連絡が取れなくなりました。マムーンさんと連絡が取れなくなって10日後、彼の家に行って「一緒に安田さんを探してくれないか」と頼みました。しかしマムーンさんは、もし安田さんのことを言ったら「私と家族が殺されてしまう」と、とても恐れていました。マムーンさんによると、国境でヌスラ戦線のリーダーであるアブ・ハサンという男が安田さんを連れ去った。

山口
今の段階でこの話を聞いて安田さん実際どうお感じになりますか?

安田
う~ん、まったく私の経験したものと話が違う。違いますね。一緒に中に入っていないので、誰と付いて行ったのかというのを彼(マムーン氏)は見ていないはずなんですよね。別方向から入ってきた人たちというのがシリア人の家族をトルコ側に連れてきた。初めから私を拉致するということを考えていたら、そんな面倒なことをするとはちょっと思えないですよね。

山口
大がかりですよね。

安田
多くの人間が私を見てしまうわけで、しかもその家族はトルコ側に出すわけですね。そういうことをわざわざやるとはちょっと考えにくいなと。

大木
やはりこの時の状況、家族連れが入ってくる状況でやはりその二人、案内してきたシリア人2人というのをある意味信用してしまったという面もある?

安田
そうですね。話がついているのかなと、勝手にこっちで思ったんですけど、おそらく彼らはそこにいる人間は全部連れていっちゃおうと思っていたんだと思います。この後話しますけど、自分のいた施設に多くの外国人もいて、おそらく彼らも私と同じように捕まったんだと思うんです。端から全部捕まえて、あわよくば身代金をとるとかいうことをやっているんだと思います。

大木
顔などを見て外国人と判断してということ。じゃあ彼ら2人は、マムーン氏、もしくはアムハーン氏の名前を出したわけではないということですよね?

安田
出していないです。

シリアでの拘束・移動 巨大収容施設の存在

山口
2人の男と国境を越えてシリアに入った安田さんはピックアップトラックに乗せられたとお話をされていました。そしてシリアに入ったこの次の日、23日の朝です。連れて行かれた場所がありました。それがホブスというパン、そういうパンの工場だったということなんですね。場所はこの国境のすぐ近く、だいたいこのあたりではないかという風に思われます。安田さん、どのあたりで実際に車に乗せられてこういう工場に連れてこられて…、実際に拘束された、人質にされるんじゃないかと思ったのはどの時点ですか?

安田
拘束されたという実感は、パン工場からこの日のうちに近くの農家の離れに移されまして、荷物をすべてとられて、その時点でもう拘束ですよね。人質であるという実感は、スパイ容疑の尋問がこの農家であって、2日後にはもうスパイという話は誰もしていない、と言いながら解放しないわけですね。この後、26日に移動するわけですけれども、この移動というのはスパイ容疑ではない移動なわけで、これはおそらく人質を考えているんだろうなと・・・

山口
パン工場に行った後、転々とさせられたと。集合住宅であったり、それから一戸建てを転々としたということなんですね。こういう場所での様々な生活があったあと、1年ほどこの先に進まさせて頂きます。2016年の7月10日なんですね。拘束されてからおよそ1年が経過しました。ある場所へと移動させられました。それがこちらです、巨大な収容施設。地下1階、地上が5階、100人以上が収容できるという場所でここで独房にも入れられて虐待があった場所だということなんですね。安田さん、これはかなりやっぱり大きい施設だったんでしょうか?

安田
そうですね。3階部分に上の抜けている、吹き抜け状の場所があって、上には網があって出られないんですけど、そこで囚人に日光浴をさせる場所があって、そこに何回か行ったんですけど、そこからさらに2つフロアが見えて、外側は見えないわけですね。この施設にいる間に4回ほど部屋が移ったんですけど、どこからどう移ったのかわからないほどに迷路のような・・・。まぁ目隠しされて移動するのでわかりにくいんですけれども。非常に幅もかなりあるような印象ですね。

山口
なるほど。実は安田さんに部屋の様子を描いて頂いたんですよね。それって見せて頂くことはできますか?

安田
これがこの施設にいた時の最後の2か月ほど(の部屋)何回か移っていて、これは幅が1mほどで長さが2mほど。そしてトイレがある。こことは違う所でもう少し幅があったりという場所もあるんですけども。1番狭いのがここだったですね。

山口
足も伸ばせないような状況だったんですか?

安田
この入口がここにあって、小さな窓をあけて彼らが食事を持ってくるんですけれども、このドアの外側に彼らがカメラを付けていて、小窓の隙間から中がこの辺(入口から4分の1ぐらい)まで見えるんですね。これよりもドアに近づくと彼らをの音を盗み聞きしているという扱いにされてスパイ行為をしていると。だからこれよりもドア側には自分の身体は一切映ってはいけない。これ(部屋の長さ)が2mしかないので50cmぐらいはダメですから、結局1.5mぐらいですね。私の身長が175cmなので、足をまっすぐには伸ばせないですよね。

山口
この場所・施設というのはそれまで点々としていた民家と比べて、やっぱり設備がたいぶ整っている場所という感じは受けましたか?

安田
もう完全に収容施設ですね。先ほどのこういった部屋がずらっと並んでいるわけですよ。そういったこのエリアがいくつもあって、別の部屋にもっと大きな部屋もあったり。もうこのドアの仕組みがそうですよね。小窓が付いていて、このドアが内側にしか開かないんですよ。どんなに蹴っ飛ばしても絶対開かない。内側にしか開かない。だから中からではどうにでもならない。鉄の扉ですね。

山口
川村さんはこの施設についてはどんな印象を受けましたか?

川村
安田さんがおっしゃった通り、ある種の収容施設として完全にそこの場を利用していたということだと思いますけど、それが先ほど私もちょっと疑問に思ったんですけど、このマムーンさんと最初の後藤健二さんの案内人でもあったアムハーンさんとの間で、どの程度の関係性があったのか、ある意味ではマムーンさんの方は完全に後は任せましたよっていう感じだったのか。そうだとすると、安田さんを連れ去ったのはアブ・ハサンというヌスラ戦線のリーダーだっていうのは、ちょっとそんな簡単に特定できるのかなっていう感じはするんですけど、その辺は安田さんいかがですか?

安田
(マムーン氏とされる)この写真の顔がすごく若いんですけど、これくらいの年齢の息子のいる、もうちょっと年配の人だったんですね。これ、いつの写真なのか、わからないんですけど、この髭のたくわえ方を見るとこれ内戦始まって以降の写真ですよね。そもそもこの人物なんだろうかという疑問。あとこのアブ・ハサングループだと言っている話は、日本でも友人たちがトルコに行って色々調べる中ででてくるんですけど、ヌスラ戦線がアブ・ハサングループから私の身柄を奪い取ったとか、民家に拘束されていた間に看守が殺害されたということになっているのですが、周囲で戦闘は全く起きていませんし、初日のパン工場からいた看守が一年後もいて、別の組織が身柄を奪ったという出来事が起きたとは思えないです。民家の看守5人というのは1年間ずっといたわけで、その間に看守が殺害されたという事実もないんですね。そういうことを考えると、このアブ・ハサングループという情報自体がかなり私は疑わしいと思っていますね。

山口
そしてこの巨大収容施設に2016年7月10日から入れられていたという事なんですが、ここでこの場所についてのある情報があるんですよね。それがこの告白があったということなんです。これちょうど空爆を受けていて、この場所大丈夫なのかって安田さんがおっしゃったときに「ここはジャバル・ザウィーヤという小さな村だから大丈夫だ」と、その人物がこの場所を漏らしたということをおっしゃっていましたよね。このジャバル・ザウィーヤなんですけども、実は地図を調べてみたところ、だいたいこのあたり、山が見えますよね。山地になっています。この辺りがジャバル・ザウィーヤといわれている山地ということでいいんですよね?

安田
もうちょっと南ですね。これイドリブ市だと思うんですけど、そこの南のあたりがジャバル・ザウィーヤです。

山口
ちょっとこの場所を確認しておきたいんですけれども、だいたいもう国境から直線でも36キロくらい離れている。そういう場所にあるわけですよね。そしてこの場所をちょっと我々で地図で検索してみたんです。そうしたところジャバル・アル・ザウィーヤという村が実際にあったんですね。この”アル”というのがついているんですけど、安田さんにグーグルマップを見て頂きたいんですが、このジャバル・アル・ザウィーヤの場所出ますでしょうか。

山口
実際この映像を見てご自身が居た場所なのかどうか、ちょっと確認をしていただければと思うんですけど。

安田
ここにジャバル・アル・ザウィーヤというのがあるんですけども。この中に大きな建物があるんですが、高さがちょっと足りないかなという気がしますね。このジャバルというのは日本語で山のことなんですけど。この辺り一帯が、ジャバル・アル・ザウィーヤという、この一帯が山岳地帯というか、この辺り広い範囲でジャバル・ザウィーヤということも言われていて、いくつも村があるんですよね。だからこの中のどっかかもしれないので、何とも言えない。

山口
安田さん実際にこのグーグルマップなどを見て確認されたんですか?

安田
見ています。見ているんですけど、結構広い範囲なのでなかなか特定が難しい。

山口
そういうことですよね。実際にいらっしゃったときに、いらっしゃったというか拘束されていたわけですけど、その村の特徴を覚えていることありますか?

安田
外は見えないんですよね。で外からその礼拝を呼びかけるようなアザーンとかは聞えてこなかった。外から生活感があるような音というのはちょっと無かったですね。山の中なのかなと。この名前の通り。

山口
静かな場所だったということ?

安田
そうですね。

山口
高橋さんにお伺いしたいんですけど、この明確な場所はまだ確認できないということなんですが、こういう巨大な収容施設があったということですけど、この施設、高橋さんはどういう風にご覧になりますか?

高橋
おそらくアサド政権が支配していた時代に政治犯を入れるために作った巨大な設備だと思いました。非常に狭い部屋で、入っている人を苦しめるという目的に作ってありますから、それをそのまま反政府側が乗っ取って使ったということかと推測しました。それで私が気になるのは、これだけ大きな設備ですからトルコの諜報当局は当然知っていたと想像されるのですが、そんな感覚はありますでしょうか?

安田
この施設なんですけど、このあたりにアサド政権時代の刑務所はなかったんじゃないか、という話もあって、この建物自体は刑務所ではなくてこの地区の例えば市役所だとか、庁舎だったかもしれないですね。この小さな部屋というのも、こちら側のトイレ側の壁に落書があって、落書の途中で壁が途切れているんですね、だから後からこの仕切りを作った様子があって、だから元々こういうものでなくて彼らがそのために作り直して収容施設にしているんじゃないかなという気はしています。

高橋
もともと市庁舎などの設備であったとすると、周辺に人々が生活しているはずですから、モスクからのアーザーン(祈りの呼びかけの声)などが聞こえて来てもおかしくないはずです。もしかしたら、周辺の住民が何らかの理由で追放されていたのかも知れません。

山口
安田さん会見の中でおっしゃっていたんですけれども、ここの施設に収容されている人たちっていうのは大体30代~40代のパキスタン人の夫婦だったりシリア人の親子、この方たちは実は人身売買の被害者ということですね。それからアサド政権の兵士がいたり、大麻の売人もいた、それからヌスラ戦線の兵士もいたんじゃないかっておっしゃっていますよね?これはどんなことをお感じになっていますか?

安田
他の大きな組織の囚人まで中にいる、ヌスラだと言っていたり、アハルシャムという別の大きな組織であると言っていたり、あとイスラム国だと言ったり、あと人質が入っていたり、あとおそらく何か罪を犯して反政府側が組織している警察組織に捕まってイスラム法廷で裁かれて運ばれてきたという囚人というか、受刑者もいて、いろんなタイプの囚人がいるんですね。私の印象としては、この組織は色んな他の組織からこういった囚人を引き受けて収監するというビジネスのようなことをやっているんじゃないかと思うんですね。

山口
それは政権側の兵士もいるけれどもヌスラ戦線の兵士もいる、つまりいろんなところから拘束した人たちをここに預けさせている場所ってことですかね?

安田
このイスラム国の戦闘員であると言っていた人物は、自由シリア軍に捕まったとしゃべっていたのが聞こえました。

山口
混沌としている背景がここにあるかもしれないですよね。

安田
そうですね。パキスタン人の夫婦というのが、パキスタンからトルコに来てこのままサウジまで抜けてメッカ巡礼をしようと思っていたという話をしていて。いくらなんでも無茶だと思うんですけど、おそらく私のように国境付近にいるのをそのまま捕まってきたんだろうなと。

山口
この施設に収容されていたと思われるカナダ人の男性のインタビューがあるんです。それをご覧ください。

~ショーン・ムーア氏VTR~
普通の人間がどのようにして3年4カ月生き延びられたのか見当がつきません。
自分なら生き延びられなかったと思います。
ドアをたたかれる音や虐待の音、声がいつもしていました。
その音や声の様子から数百人はいたように思います。
あの牢獄にはテロリストや女性や子どもまで収容していました。
そこは文字通り、この世の地獄のような場所でした。

山口
ムーアさんは地獄のようだと語っているんですが、安田さんこのムーアさんのこと覚えてらっしゃいますよね?

安田
ええ、彼はこの部屋の二つ右側にいて、周りの囚人と話をしていて名前はショーンだと。カナダ人のユダヤ教徒だと。周りが全然英語できないんですね。周りが唯一わかっている英語として I love you と言っていて、彼は I love you too と言い返していて、彼は食事が来るたびに “I need fine English” と毎回言っていたんですね。最近彼とフェイスブックでチャットをしまして、最初の一声で私が I love you と言って彼が I love you too と言って、あ、お前それ知ってんのかと。あなたは毎回 “I need fine English” と言っていた、と書いたら、それは俺だと大喜びしてくれて、俺たち2人だけがあの地獄を理解し合えるんだなと、本当に喜んで。

山口
本当にムーアさんも3年4か月も信じられないっていう風に、生き延びられた、生還されたことをおっしゃられていた訳ですけども、高橋さんはここまでの安田さんとムーアさんの証言から、この施設どんなことが推測されると思いますか?

高橋
いわゆる自由シリア軍と呼ばれている大きなグループの支配下にある人質ビジネスに走っている組織があった。そうしたグループが、安田さんを拘束していた。そう想像しています。この自由シリア軍というのは実は内実はちっとも自由じゃなくて非常に過激なイスラム主義者が入っていた。ですから自由シリア軍を支援するのだという西側の宣伝はありました。しかし、実は支援した人たちは結構過激な人たちでヌスラ戦線・ISとそんなに変わらないというところもあったのでしょう。そして大義ではなくお金のために戦っているような人々もいた。あるいは大義もお金の両方を追っている組織もあった。そういう反対政派内部の複雑な力関係が、安田さんの証言から、垣間見えました。

川村
アルカイダ系から離れて作られた組織、そういう反アサド政権の人たちもこの周辺にはいたということですから、私はちょっと懸念するのは、もしこれが少し遅れていて、まだアサド政権側の総攻撃始まっていませんけれども、こういう状況を地理的に様々な情報網から得ていれば、おそらくこのイドリブ県のこういう施設は、アサド政権の攻撃の対象になっていたんじゃないかと思いますけどね。

山口
ここの巨大施設に収容されていた安田さんなんですが、今年に入って別の場所に移されていたんです。今年の3月31日湖の近くウォータープレイスと彼らが言っていたという場所でここがウイグル人が管理する施設だったという事なんです、ここで撮影された映像があるんです。この動画、「私はウマルです」と言う風におっしゃっていた、まさにあの動画がここで撮られたという事になるわけですよね。そして一緒に居た人物もいました、一緒に拘束されていたイタリア人のアレッサンドロ・サンドリーニさんという方、こういう人たちが出てくるわけですけど、安田さん背景に犯人グループが出てくるのはこの場所だけですよね?

安田
そうですね。

山口
この人たちはどんな人物だったと思いますか?

安田
彼らは中国の新疆ウイグル自治区から来たと言って、アラビア語が出来ない人もかなり多い。普段はこういった服装はしていなくて顔も出していて、名前も普通に呼び合っていて武器も普段は持っていないですね。彼らはシリアにウイグル人の家族が居ると、妻が何人いて子供が何人いてということを言っていて時々、小さな子供も来たりしていましたので、周辺にそれなりのコミニュティーがあるんだと思うんですね、このウイグル人たちの。

安田さん「身代金、日本は絶対に払わないと答えた」

山口
ここからですね一つポイントになっています。身代金の事について進めていきたいという風に思います。まず大前提です。政府はこういう風に言っています、菅官房長官は「身代金を払った事実はない」。これ今月になってもこういうふうにおっしゃっているわけですね。ただそれでも、支払いがあったのではないかという指摘があるのはもちろん存じ上げおります。これから、この経緯を一つ一つ検証していきますね。まず6月22日に拘束されました。7月下旬です、犯人側からの要求がありました。日本政府に金を要求するということだったんですね。8月の上旬、今度は家族の方へ、「申し訳ない」というメッセージを安田さんは書かされたということなんですね。そして日本政府に対して「アメリカにある日本領事館に犯人グループはメールを送った」と、その中で金銭や特殊な武器のリスト」こういうものが欲しいんだということを要求したということなんです。それに対して日本側が武器は無理だが金を払う用意はあると犯人グループが言っていたのを安田さんが聞いたということなんですね。

安田
そうです。はい。

山口
安田さん、この辺りのやり取り、つまり身代金要求、金を払う用意がある。このあたりが実際にあったのか無かったのか、どう思いますか?

安田
これは分からないですね。彼らがあくまで日本側と思っている相手側からこういった返事が来た。彼らは日本政府がそういった反応していると思っているわけですけども、その外務省は交渉しないという立場なんで認めないんですけれども。

山口
そうですよね。川村さん、結局、菅官房長官は、日本政府は再三再四ずっと否定してるわけですね。「身代金は払ってませんよ」と。ただ、この仲介している人物なり誰かが都合のいいように話を変えて伝えている可能性もありますよね。

川村
それはもちろんありますよね。アメリカの領事館にこのメッセージを送ったという言い方をしたということですけど、領事館と言ってもアメリカの場合、総領事館はニューヨークにありますし、シカゴにもボストンにもサンフランシスコ、ロサンゼルスにもありますから、どこの領事館に送ったのかということも含めてですね、どうもこの辺の情報は曖昧なものが多いと。したがって、安田さんが家族の情報とか、あるいは家族から安田さんの方に届けられたメッセージがきちっと自分が書いたメッセージが家族の元にきちんと届いていたとかって、そういうものが少し検証してみないとわからないんですけど、今の段階ではどうなんでしょうか。安田さんが例えば情報書かせられた、それはちゃんと届いていましたか?日本政府なり家族なり・・・

安田
12月7日には私が書かされた個人情報というのがあって、これは恐らく日本政府ではなくて日本政府側に「仲介できるぞ」という売り込みがあるわけですね。その人物が彼らの側に働きかけてやったと思われます。この後さらに2016年1月に入ってからなんですけども、私の家族から私しか答えられない質問項目が来て、書いたわけですね。これは間違いなく私の家族から来ているんですけども私の家族は私からの返事を受け取ってないんですよ、すぐに。2018年に入ってから日本のテレビ局から見せられているので、そうすると回答である意味がないわけですよね。その時点で生きていることを証明するためのものを、2年もたってから家族に見せても意味がないですから。そういうことを考えると、色んなこのブローカー、仲介できるという売り込みをする人たちがこういった働きかけをあちら側にして、あちら側は日本政府だと思っているわけですよね。だから捕まえている連中もこういったブローカーに翻弄されて日本側が払うと期待させられて、ということだと思うんですね。

山口
高橋さん、一般論で構わないんですけど、近年のこういう人質、拘束事件で日本政府が身代金を払った、実際に払ったかどうかそのあたりは実際どうなんですか?

高橋
公式には払ったと政府が認めた案件はないですね。しかし中央アジアで起こった日本人からみの事件では、関与した日本の政治家が、支払を認めています。またイラクなどでは、解放後に、その地域に日本側の援助が行われたという例もありました。間接的な形で支払ったと想像させます。しかし安倍政権が支払はないと決定して以来、確認できる例はないですね。

山口
安田さんは拘束されている間、この身代金について犯人グループから色々揺さぶりを受けるわけですよね。結局、日本側が払いそうになると機嫌がよくなるんですけど、例えば日本側から返事がないと機嫌が悪くなる。こういうことが繰り返されるわけですよね。そうすると安田さんはこのグループに対して日本政府は払わないんだぞということをおっしゃっていたこともあったんでしょうか?

安田
当初から私は日本は絶対に払わないと彼らに言っていました。金を払う用意があるというふうに言ったというのはですね、これはどう考えても時間稼ぎをしているだけだということも私は相手には言っていたんですね。イスラム国の後藤さん湯川さんのケースの時は、イスラム国の側からご家族に連絡が入って、その後、日本側からは反応しなかったわけですよね。2014年11月に後藤さんは拘束されて、翌年1月末にはもうビデオが出ましたよね。だから反応しなければすぐに殺害されるという恐れがあるんで、だからああいう言い方をして時間を延ばしたんじゃないかと。彼ら自身は自分たちの組織名は日本側には言わないと言っていて、私にも言っていない。日本側はお前たちはどういう組織なのかということを聞いてきている。そこで延々とそういうやり取りをしているという話でした。

山口
ちょうど、このやり取りがある頃、日本では国際NGO国境なき記者団が安田さんが拘束されていると、身代金を要求されていると声明を発表したかと思えば、6日後に撤回したりということもありました。その後時が過ぎまして12月31日犯人グループから「日本側が連絡を絶った」と言われて暴行、それからトイレの行き帰りに暴行を受けるようになったということがありました。そして犯人グループの変化というのもありました。先ほど、お話が出ていましたけど、「妻の連絡先を教えろ」と。「日本政府に圧力をかけさせる」と言われて奥様の電話番号それからメールアドレスを書かされたということなんですよね。川村さん、こうした情報を見ていくと、やっぱりこの身代金交渉の行方と犯人グループの安田さんに対する姿勢がリンクしていると感じられますよね。

川村
多少犯人グループがうまくいっていないときに対して、安田さんに対するイライラ感が募っているとか、そういうのが感じられますけれど。実際に、その身代金交渉が具体的に誰か、第三者から第三国か、そういうものを仲介して行われていたかどうか、というのはですね、どうも外務省の邦人テロ対策室の、ずっと行っていた人たちの話の中でも、そういう身代金というような交渉はしていないということが表向きの話なので、おそらく第三国あるいはアメリカの領事館とか、そういうところで止まっている可能性はありますね。

安田
私しか答えられない質問が来て答えるというのは、これは生存証明ですね。私がその時点で生きているという事なので、これを家族に当てなければ意味がないわけですね。それが当てられてないので、これはもう全く意味がなかったわけですよね。この質問項目自体が、日本にいたスウェーデン人のブローカーが2015年の7月ころに私の妻に書かせたもので、日本政府によるものではありません。私の回答が日本政府に届いていれば、必ず妻に内容の確認があったはずですから、日本政府には届いていない。家族にも届いていない。だから本当に日本政府の側と彼らがやり取りしていたとしたら絶対に家族に確認しているので、これは聞いてないという時点で日本政府、まったく関与してないと私は思っています。

山口
そしてその後、動きがまたあります。2016年に入ります。3月15日「終止符を打ちたいので動画を撮影する」と言われて、その撮影した動画が公開されました。その2日後、日本政府、やはり菅官房長官は身代金の要求については承知をしていないと話しています。そして5月23日メッセージ二つ目。これは写真でした。この写真を撮影して5月の末に公開されました。そしてこの頃からですね、だんだん対応が悪くなってきて巨大収容施設での地獄の始まり。ジャバル・ザウィーヤの巨大収容施設、こちらに移動したのがちょうどこの時期だということになるわけですよね。こういう動きの中でこの巨大収容施設に移された。これは高橋さん、どういうふうにお考えになりますか?

高橋
難しいですね。私はもしかしたら安田さんを拘束するグループが変わったのかなと想像しました。安田さんはどんな感じをお持ちでした?

安田
このタイミングというのが5月の14日に民家に入り込んで来た人物がいて、捕まっちゃたんですね。彼はアラビア語できなくて、捕まえた彼らがジャンダルマだと言っていて、ジャンダルマというのはトルコの憲兵隊。明るい時間に入って来たんですよ、なので、おそらく私が居るとは思わないで、空き家に怪しい人物が住み始めたということで探りに来たんだと思うんですけど。その彼がこの日に返された、トルコ側に。この数日前に彼らが大喜びしていて、おそらく身代金が出たんだと思うんですね。で、7月10日に移動というのは、彼を返すのと同時に私を別の場所に移す。私だけ残すとまずいじゃないですか。彼、場所知っているわけなんで。というだけの話だと思うんです。

山口
身代金が出たというのは、今おっしゃった別の人物に対して出されたことで喜んでいたということ?その関係で移されたんじゃないかということですね?

安田
ええ、はい。

“地獄の日々”そして命がけの訴え

山口
ではその2016年12月頃から始まった、ご本人を前に本当に恐縮なんですけど、「地獄の日々」と安田さんもおっしゃっています。こういうことが続けられました。拷問を見せられる。24時間身動き禁止、非常に狭い部屋です。それから水浴びが禁止になる時期もありました。そして指を鳴らす音さえ禁止された。非常に大変な時期だと思うんです。この間の会見を整理してみると、ここから2017年を飛ばして2018年のお話になるんですよね。つまりこの2017年というのが非常に大変な境遇の中で、もう1年以上過ごしていた、ということになってくるわけですけれども実際安田さん、このときの記憶とか、本当に地獄のようだったと、まさにそうだと思うんですが、どうだったですか?今振り返って。

安田
彼らは2016年の終わりころには、帰すということを言っていて、本当に12月にはフリーダム、フリーダムと言っていて、帰すってことは言ってたんですよ。その代り、これをやったらダメ、ルールはいろいろあって、それがどんどん増えていって。何をやってもルールに引っかかるというような状態になっていて。ただでは帰したくないという、こういった虐待をやってもなんとも思わないような過激な連中と、食事を持ってきては大丈夫だからと身振りで伝えてくる奴もいて、いろんな人間がこの中にいるんだと思うんですね。自分たちは殺さないということは初めからずっと言われてはいるんですけど、殺してしまうと多分組織が割れてしまうんだと思う。イスラム国がもともとヌスラと一緒だったけども人質殺し始めた頃から分れましたよね。だからそこまではできないけれども、虐待をしているような連中にもある程度納得させ、それでも殺すとこまではやらない、ということで延々とこれをやらされた。

山口
1年以上こういう状況ってことですよね?さっきカナダ人の方が仰ってましたけど、1か月でも大変なのによくあそこでこれだけの状況で生き延びられたと本当に僕らも思うんですけど、どうだったんですか?その1年以上こういう経験をされた日々っていうのは?どうやって耐えられたんですか?

安田
実際だんだんとルールが厳しくなっていくんで、水浴び禁止になったのが8月。本当に厳しいのは2、3ヵ月くらい。だんだんと厳しくなっていくわけです。私自身は今日にも帰れると思っているんですけど、それがいろんなルールがあって全力でなんとかしようと思うんですけど、やっぱりだめだと。扇風機がついていて、最初は盛大に回ってるんですけど、ルールに引っかかるとだんだんと出力を下さげていって最後止まるとかですね、ゲームのようなことをやらされていて。今日も帰されないと思う時のなんというんですかね、ショックというか、そういうのは非常に大きくて。

山口
そういった状況でなんとか耐えられていたわけですけども、最後のころにハンガーストライキをやられたと。で、それがきっかけになったんですよね?2018年、今年の3月29日にだいぶ時が変わるんですがもう帰すから食えと。ハンガーストライキで必死にもう体を張っての抗議をされたところで、向こう側の反応が変わってきたということですか?

安田
抗議というか、身動きしてはいけないので、食事をとると動きたくなるじゃないですか?食べると無理だということで、食べるのはやめて。その代わり食べないというのは恐ろしい、下手したら死ぬかもしれない。だからイスラム教徒になるから礼拝させろと。一日5回の礼拝が義務なので一日5回動けるんです。食事の来る2回しか動けなかったのが5回追加して7回になるので。そうやってなんとかして条件緩和を勝ち取ったんですけども。でも食べなくなってから20日間ですから、本当にボロボロになってくるんですけど、それでも20日間帰さないわけです。

川村
水分は、ちょっとは飲めたんですか?

安田
水は飲めるんですけど、なかなか水だけたくさん飲むのは難しいんですよね。こういった虐待をする連中と、その一方で殺すことはないと言っている連中もいるので、最終的に飢え死にするところまではやらないだろうという、そこは賭けというか。本当に飢え死にする寸前であれば身動きできないわけですから、そうなったら身動きしないんだからお前らの要求通りだから、そこで絶対帰せよと言ってハンストやっていた。

山口
そういう大変な中で3月31日に動きがありました。さきほどご紹介したウォーター・プレース、水辺の民家に移動したわけですね。そして7月上旬にまた動画が撮影されて公開された。さらに25日、またこの動画撮影があった。このあたり動画撮影が立て込んでいるわけですね。そして9月29日再び巨大収容施設に戻された、この時はどんな思いだったんですか?

安田
この施設に移ったときはショックだったですね。もう帰すからと言われて、4月15日前後にはもう帰す、これはもう決定事項だと言われてあちらにいったのでそれが日々、引っ張られていって、これはもうショックだったですよね。

山口
ここで安田さんはかなり強く、犯人グループに「もういい加減にしてくれ」という訴えをされたということですよね?

安田
大きな施設に移ってから、拘束されたのが6月22日で、もう39ヵ月過ぎているので、キリのいい40ヵ月以上は絶対やめろということを言って、イスラム教の経典コーラン、クルアーンの文言であるとか、預言者の残した言葉であるとかをたくさん出してこれ以上やるのはイスラムに反すると。あなたたちはちゃんとしたムスリムであるから、こういったイスラムに反することはやめて、あなたたちがやろうとしている本来のジハードに行くべきであるということを再三訴えて、絶対40ヵ月以上はやめろと。それ以上やるんだったら、殺してくれと。これ以上捕まっていたら生きてはいても死んでいるようなものじゃないかと、だったらもう殺せと。イスラム教徒がイスラム教徒を殺すというのは、イスラム法に基づかずに殺す場合というのは決定的なこれはハラームというか、イスラムに反する、拭うことのできない罪なわけですが、これ以上やるんだったら、自分が死にたいので助けると思って殺せと。尊厳死のようなものだからあんたたちもこれはハラームじゃない、助けるつもりで殺してくれ、だから40ヵ月以上やるんだったら殺せと。だけど、あなたたちはまっとうなイスラム教徒であると信じると。だから殺すのではなくて帰してくれると信じる。だから40ヵ月、22日には帰してくれということを訴えたんです。

高橋
イスラム教徒には40というのは特別な区切りの数字です。たとえば私の知っている例ですと、シーア派の信徒にとっては、人が亡くなった後に喪に服す期間が40日です。40というのが、もう十分な長さだという感覚のある数字なのですね。ですから、安田さんが、40ヵ月が限度だと強調されたのは、偶然だったにしろ説得力を持ったかと推測しています。

大木
そういうこと言った時の相手の表情はどうでしたか?

安田
顔は見えないんです。この部屋の両サイドで24時間、こちらの音を聞いているわけです。顔はわからないんですけど、それを言った頃から扇風機を盛大に回し始めた。ものすごい音なんですよ、頭が痛くなるくらいに。大きな音で。

大木
ただ、環境は良くなるわけですか?

安田
そうですね。関節がなる音ぐらいは聞こると思うんですけど、寝返りくらいは聞こえないくらいの音になって。

安田さん「現場に入って・・・伝えたいから帰る」

山口
安田さんの本当に命をかけた訴えが、向こうに伝わったということなんでしょうね。10月22日、今から返すと言われて民家へ移動して、その後トルコに戻って解放されたということなんですけど、安田さんに是非お話して頂きたいんですけど、結局こうやって3年4か月、本当に大変な状況の中で生き延びられて、命をかけてシリアに入って、伝えたいことがあったわけですよね?安田さんが伝えたいこと、世界にわかってほしかったこと、世間に。どんなことだったんですか?

安田
私は記者なので、伝えたいことがあってから現場に入るわけじゃないんですよね。現場に入ってから事実関係を確認して、伝えたいから帰るんであって。行く前から伝えたいものがあるというのはちょっと取材者としておかしな話になると思うんですけども。シリアの現状についてはなかなか報道されない。特にイスラム国ばかり注目されるようになって、そうでない地域、もともと反政府運動を始めた人々の地域の話はほとんど出なくなって。外国人もたくさん入っている。彼らはアメリカに仕組まれただけだとか、いう話をする人が日本にもいます。テロリストだと。だけども現場にいってみると、彼らには彼らの事情があって。テロリストだから殺していいと言われるような人々なのか。テロリスト、対テロ戦争というのは、テロリストは殺して良い、テロリストだと思えば裁判をしなくても殺していい、空爆していい、周りの人が死んでも仕方ないというのが対テロ戦争ですけども、実際の彼らというのは、彼らには彼らの事情があって、家族もいて、実際は普通の人々であるケースが多いわけですよ。そういった記号で呼ばれる人たちの肉声というか、言葉とか映像ではなくて実際の生きている人間の姿として彼らの様子を見たかったというのがあって。そういった記号ではなくて彼らの姿というのを確認できたら、彼らの様子を伝えられれば対テロ戦争とかいうものとは違う見方というのを提供できるのかなと思ったんです。

山口
おっしゃる通り、安田さんが身を張ってやったからこそ、これ結果論ですけど、逆にまたシリアの情勢に世間の注目が集まるってこともありますしやっぱり戦場の裏で何が起きているのか、私たち遠く離れてますけど、それを知ることは非常に大事だとおもわれますので、安田さんが本当に無事生還されて、こうやって証言されることは大事だと思います。

川村
やっぱり私の経験でも、中東のある国から追放されたり、拘束されて・・・しかし、それでも何回も入るわけですね。そして第一次イラク戦争の時でも結局、日本人の視点で見ることがいかに大事かと。向こうの人たちは多国籍軍の空爆の中でも私に対して「あなた日本人だろ」と。「日本人だったら、広島・長崎で原爆を落とされて、地上でどれだけの被害が出ているのか、今私たちがどれだけの状況に置かれているのかきちんと見て日本から世界に発信してくれ」と。本当に年老いた老婆が言ってくれたんですけど、そういう意味はこれからますます表現力を磨いて安田さんがこれまでのことをルポルタージュでもいいし、ノンフィクションでもいいし、小説でもいいし、どんどん世界に向けて、書いていくことが大事だと思いますね。

山口
そうですね。安田さん、高橋先生、どうもありがとうございました。

2018年11月4日放送