
83年にソロ・デビュー・アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』で大ブレイクし、セカンドアルバムで永遠の名曲「トゥルー・カラーズ」を生む。6回のツアー来日などにより日本のファンは多く、94年のベスト盤「グレイテスト・ヒッツ」は100万枚を突破し、未だに年間1万枚前後を売り上げている。2007年にはSUMMER SONIC 07に出演、名曲と共に変わらぬ歌声を披露した。
「Set Your Heart」7年ぶりとなるフル・オリジナル・アルバム「BRING YA TO THE BRINK」収録曲。日本の自動車メーカーのテレビCFソングにも使用されている。今作のテーマであるダンス、ハウスミュージックを取り入れたサウンドを象徴するような、リズミックなサウンドにキャッチーなメロディをのせたキラーチューン。

2006年末、イギリスのオーディション番組での優勝をきっかけにデビュー。20年に1度の奇跡と言われるその歌声は、アメリカ音楽界の大物クライヴ・デイヴィスやサイモン・コーウェルからも絶賛され、デビュー・アルバム「SPIRIT」はすでに全英、全米で1位を獲得、全世界での売上は500万枚にも上り、一躍全世界規模のスーパースターに。
「Bleeding Love」デビュー・アルバム「SPIRIT」からの1stシングル。作曲は今最も注目を集めているソングライター、ONEREPUBRICのライアン・テダーとジェシー・マッカートニーが手がける。全英、全米チャートを始め、あらゆるチャートで1位を獲得。ひらひらと宙を舞うような高音域のヴォーカルと、そこに幾重にも重ねた彼女自信の声が美しく響く、珠玉のラヴ・ソング。


1978年アメリカ、ロサンゼルス生まれ。13歳の時に右耳の聴覚を失い、16歳で1型糖尿病であることが発覚。職を転々とする。2006年にアメリカで最も人気のあるオーディション番組に出演し、惜しくも優勝は逃したものの、スティーヴィー・ワンダーからも絶賛され、インディーズから発売したデビュー・アルバムは全米3位、60万枚も売り上げた。
「Wait For You」2008年に日本で行われたコンベンションの最新ライヴ映像!デビュー・アルバム「WAIT FOR YOU」からのファースト・シングル。別れた恋人を忘れられず、想い続ける切ない歌詞と、美しいメロディーとソウルフルな歌声が織り成すラヴ・バラード。全米13位を記録。


1997年結成、シカゴ出身の5人組。2001年にアルバム「Come On Over:」を発表。2006年、メジャーと契約し、PANIC AT THE DISCOの全米ツアーのオープニング・アクトを務める。メジャーデビュー・アルバムからのセカンド・シングル「Hey There Delilah」が、全米シングルチャートでも1位を獲得。一躍トップ・アーティストの仲間入りを果す。
「Hey There Delilah」デライラはヴォーカルのトムが、地元の友達に紹介されて一目惚れをした女の子の名前で、当時NYのコロンビア大学に通っていたデライラには彼氏がいて、実際に会ったのも数回だったが、彼女の事が忘れられず思わず歌にしてしまったという曲。第50回グラミー賞の最優秀楽曲賞にノミネートされ、グラミーの会場ではデライラとの再会を果した。


1941年ブラジル生まれ。リオの音楽学校でクラシック・ピアノを学ぶが、ボサ・ノヴァに転向、国内外で活躍する。1965年アメリカに活動の場を移し世界的なボサ・ノヴァ・ブームの旗手となる。1966年、アルバム『マシュ・ケ・ナーダ』のタイトル曲が世界的に大ヒット。2006年、アルバム『タイムレス』で世代を超えた支持を集め、大ヒットを記録した。
「Funky Bahia」大ヒットを記録した前作「タイムレス」から2年、2008年2月に発売されたボサ・ノヴァ誕生50周年を祝うニュー・アルバム「モーニング・イン・リオ」収録曲。前作に引き続き、ブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アムとの共同プロデュース。ファーギー、ナタリー・コール、ラニ・ホール&ハーブ・アルパートなど今回も豪華ゲストが参加。


1967年シカゴにて結成。69年にデビュー。ロックとホーン・セクションを組み合わせた新しいサウンドが話題を呼び、70年にはシングル「長い夜」が大ヒット。72年の『シカゴV』から75年の『シカゴIX』までのアルバムが5作連続で全米No.1に。82年には名作バラード「素直になれなくて」が全米No.1ヒット。レコードの総売り上げは1億2,200万枚を超える。2007年2月には、結成40周年を迎えた。
「Hard To Say I'm Sorry」1978年に、看板ギタリストだったテリー・キャスが、拳銃の暴発事故を引き起こして他界。しばらくの間低迷を余儀なくされるが、1982年にフル・ムーン/ワーナー・ブラザーズへと移籍して発表したこの曲が全米No.1ヒットになったのをきっかけに、劇的な返り咲きを果す。新生シカゴの記念碑的楽曲。

