うたの旅人

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初回放送:2010年1月22日「希望」





「日本のシャンソン界に夜明けが来た」。およそ半世紀前、一人のたぐいまれなるシャンソン歌手が日本に登場した。岸洋子である。ヒールを履けば170cmをこす大柄で圧倒的な声量、そして豊かな表現力。歌う姿はまるで求道者のようであった。歌が私の人生という岸洋子。何が彼女にそうさせたのか。今回は岸の「希望」にまつわる秘話を求めて、岸の生地酒田市を旅する。

山形県酒田市。"出羽三山、最上川、日本海などからの山や海の産物に恵まれた素敵な町""ふるさとの自然を抜きに、私は存在しない"と岸はいう。そんなこの地に名物が二つある。一つは「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」という言葉と「即身仏」である。かつて、この地を訪れた大宅壮一は、この地がはぐくんだ、高山樗牛、石原莞爾、大川周明、土門拳、等「一風変わった人物」に想いを巡らし、その教祖的、狂信的、求道者的な面に触れ、彼等を「新しい型の即身仏」と言ったという。難病を抱えながら、歌に生涯をかけた岸にもその気味がみえる。
少女時代から歌の才能豊かだった岸は、東京芸大を優等で卒業、二期会に所属し、オペラ歌手を目指してドイツ留学も内定していた。その時最初の挫折がくる。23歳の秋。原因不明の体調不良であった。医者は「オペラは無理」と宣告した。自殺まで考えた岸を救ったのは、エディット・ピアフの歌であった。クラシックからシャンソンへ。美声で容姿にめぐまれ、日本人離れしたシャンソ歌手の誕生であった。今はなくなった東京・銀座の「銀巴里」。マイクなしで店中を揺るがす岸の声は「金魚鉢のなかの鯨」と言われた。1961年最初のレコード「たわむれないで」が出た。恋が芽生えた。結婚に家が反対した。彼を選びピアノ一つを持って家出した。1964年「夜明けのうた」でレコード大賞歌唱賞を得た岸は一躍スターになる。しかし、それと引き換えに彼との別れが待っていた。パリに去った彼を追いかけ1965年初めてフランスへ。住所も電話番号も分かっていた。けれど・・・・ 。♪恋なんてむなしいものね 恋なんてなんになるの・・・♪そのときフランスから持ち帰った「恋心」でサンレモ音楽祭入賞。歌手としては順風が吹いていた。しかし23歳のとき発病した原因不明の病に入退院の繰り返し人生でもあった。
1970年。膠原病と診断された岸は「希望」を大切に歌っていた。その年のレコード大賞最有力候補であった。9月故郷酒田での公演終了の夜、高熱をだして岸は倒れた。再起不能・・。

1971年1月。故郷の最上川に岸は立っていた。空に舞う白鳥を見ていた。はるかシベリアから飛んできた白鳥。なんという生命力なのか。岸は思った「私も生きよう」。
♪希望という名のあなたをたずねて遠い国へと・・・♪