うたの旅人

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初回放送:2010年5月14日「テネシー・ワルツ」





東京都世田谷区・法徳寺。ここに不世出の歌手、江利チエミが眠っている。1952年、彼女が15歳の時。蓄音機が普及していない時代にもかかわらず、40万枚を売り上げたデビュー曲が「テネシー・ワルツ」である。戦後の日本に米国文化が流れ込む中、英語と日本語の歌詞が混ざった江利チエミの歌う「テネシー・ワルツ」は、斬新な響きとして人々の心を揺さぶった。今回の「うたの旅人」は、江利チエミの生涯をたどって、米軍基地を抱える神奈川県横須賀市を旅する。

音楽家の父・益雄と、軽演劇の女優だった母・と志の末子に生まれたチエミは、12歳頃から3人の兄に代わって家計を支えるため、バンドマスターの父と全国の進駐軍キャンプを回った。日本人離れしたリズム感と本格的な英語の発音で、チエミは瞬く間に米兵たちのアイドルとなる。ある時、米軍兵士からレコードをもらった。パティ・ペイジの「テネシー・ワルツ」だった。そこから彼女の波乱万丈な人生が幕を開ける。

デビュー後、チエミは美空ひばり、雪村いづみと共に"3人娘"と呼ばれ、一世を風靡(ふうび)。映画・テレビ・舞台と幅広いジャンルで活躍していった。中でも「ほかの人がやったら嫉妬(しっと)する」とまで強く思い入れたサザエさん役は、原作者・長谷川町子との知られざる交流があった。

1959年には俳優・高倉健と結婚するも、幸せな家庭生活は長く続かず、義姉の横領事件が原因で離婚。多額の借金を背負ったチエミは、返済のためキャバレーなどを回り歌い続けた。

借金を完済した1982年。突然の死により45歳の短い人生を終えるが、その直前に地方公演で歌ったのも「テネシー・ワルツ」だった。また、米国内だけでも600万枚を売り上げ、テネシー州の州歌にもなっている「テネシー・ワルツ」。英語の原詩と江利チエミが歌った日本語の歌詞には、ある不思議な違いがあった。

江利チエミの人生に切り離せない「テネシー・ワルツ」と、疾風のごとく駆け抜けた彼女の生涯に迫る。