うたの旅人

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初回放送:2010年10月19日「川の流れのように」




美空ひばり緊急入院。
1987年4月、昭和の大歌手入院のニュースは世間に衝撃を与えた。
慢性肝炎及び両側大腿骨骨頭壊死と診断され、
早期の歌手復活は難しいのではと囁かれた。
しかし、その半年後シングル「みだれ髪」をレコーディング
続いて1988年3月には復帰アルバム「不死鳥パートⅡ」の制作を開始する。
その病状を知る人間にはまさに不死鳥の如き奇跡の復活だった。

「自分の歌から遠い30代の人たちにメッセージを残したい」
ひばり自身が企画したアルバムで作詞を担当したのは当時、作詞家、放送作家として若者から絶大な支持を得ていた秋元康氏。
そしてこのアルバム収録曲からシングル曲として選ばれたのが「川の流れのように」だった。
当初、秋元氏を初めスタッフが選んだのはポップス調の別曲。
しかし、普段からスタッフの意見を尊重してきたひばりが頑なに「川の流れのように」に拘った。

8歳で初舞台を踏み、天才少女歌手と呼ばれ輝かしいスター街道を歩く一方で 離婚やケガ、暴力団との黒い噂、弟との死別・・・。決して穏やかな道のりではなかった。売上を考え別曲を推すスタッフにひばりは「川」について説いた。
「一滴の雨が木の根を伝い、せせらぎが小川になり、激しい流れに突き当たり こっちにぶつかり大きくなって海にたどり着く」
何度も繰り返すひばりに、やがてスタッフはひばりがこの曲に自分の人生を重ねていることに気づいた。
こうして「川の流れのように」はシングル曲として発売、結果として150万枚の大ヒットとなった。

美空ひばりが見てきた、「人生」という「川」。
番組では、長男・加藤和也氏を初め関係者が語る美空ひばりの真実に迫ります。