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#56

“特撮の神様”円谷英二~ウルトラマン誕生の舞台裏~

■ポイント
“特撮の神様”と呼ばれ特撮映画を世界的にヒットさせた円谷英二。
彼が夢見ていた映像の未来とは。不遇の時代から「ゴジラ」で脚光を浴びたのが53歳。
その後、映画では出来ないことをテレビに求め、62歳にして円谷プロダクションを
立ち上げる。映画とテレビというメディアの交差の時期に奇跡的に必然的に生まれた
「ウルトラQ」「ウルトラマン」。
時代が必要とした番組はどうしてできたのか。最後に関わった大阪万博での映像とは。

■コンテンツ
 “特撮の神様”と呼ばれた円谷英二。世界でも認められ、円谷が映像化したイマジネーションは、現在の著名なクリエイターたちを虜にしました。戦記映画「ハワイ・マレー沖海戦」では、わずかなの写真から本物と見間違える程のミニチュアで戦後GHQをも驚かせます。
その後、特撮を駆使した「ゴジラ」がヒットし、特技監督として数多くの映画を手がけます。その映画が隆盛を誇る最中、円谷英二が次にチャレンジしたのは? なんと62歳にして自らのプロダクションを立ち上げ、「テレビ」へと進出したのです。
英二の下に集まった若者たちは、2年の歳月をかけて「ウルトラQ」作り上げ、空前の怪獣ブームを巻き起こしました。当時の円谷英二を取材したドキュメンタリーでは、怪獣からインタビューを受け姿が!
そして、視聴率40%を超えた「ウルトラマン」の制作の裏側とは?なぜ人気絶頂の「ウルトラマン」が打ち切られなければならなかったのか?
数多くの怪獣を躍動させ、永遠のヒーロー「ウルトラマン」を生み出し少年の夢を育んだ円谷英二。時代や国境を超えて、怪獣、ヒーローは、なぜ愛され続けるのか?
その原点に迫ります。