歴史から学ぶ健康法! 英雄たちのカルテ

歴史から学ぶ健康法! 英雄たちのカルテ

お知らせ

【再放送日時】
2016年4月18日(月)よる7:00~8:54放送

番組概要

この番組では、歴史を変えた人、偉業を成し遂げた人、社会にインパクトを与えた歴史上の人物を捉えて、その人物の健康に着眼してご紹介します。それぞれの「病気」との関わり、病との闘いの生涯を紐解いてゆきます。誰もが知っている英雄、有名人の意外と知られていない闘病物語です。「病」は英雄たちの人生はどう変えたのか?そして「食生活」は、どうだったのか?
さらに番組では、現代医療の専門家たちが、当時の病状などの解明を試みます。
また、それらを参考に視聴者の皆さんに役立つ健康法や最新医療情報をご紹介してゆきます。

■メインキャスター 石坂浩二
(歴史にも造詣が深く、自身も大腸ガンを患った経験がある)

【番組で紹介する英雄】

[徳川家康 1543-1616

織田信長と同盟し、豊臣秀吉と対立・臣従した後、日本全国を支配する体制を確立して、15世紀後半に起こった応仁の乱から100年以上続いた戦乱の時代(戦国時代、安土桃山時代)に終止符を打った。家康がその礎を築いた江戸幕府を中心とする統治体制は、後に幕藩体制と称され、17世紀初めから19世紀後半に至るまで264年間続く江戸時代を画した。

◆260年続いた徳川幕府を開いた英傑。健康マニアだったが・・・・・?!



[織田信長 1534-1582

尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男。尾張守護代の織田氏の中でも庶流・弾正忠家の生まれであったが、父の代から主家の清洲織田氏(織田大和守家)や尾張守護の斯波氏をも凌ぐ力をつけ、家督争いの混乱を収めて尾張を統一し、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ると、婚姻による同盟策などを駆使しながら領土を拡大した。足利義昭を奉じて上洛すると、将軍、次いでは天皇の権威を利用して天下に号令。後には義昭を追放して室町幕府を事実上滅ぼし、畿内を中心に強力な中央集権的政権(織田政権)を確立して天下人となった。これによって他の有力な大名を抑えて戦国乱世の終焉に道筋をつけた。
しかし天正10年6月2日(1582年6月21日)、重臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。すでに家督を譲っていた嫡男・織田信忠も同日に二条城で没し、信長の政権は、豊臣秀吉による豊臣政権、徳川家康が開いた江戸幕府へと引き継がれていくことになる。

◆戦国乱世の終焉し、天下統一を果たした信長。本能寺で光秀に謀反を起こされ自害。その信長の食生活、「病」とは?


[豊臣秀吉 1537-1598

初め木下氏を名字とし、羽柴氏に改める。本姓としては、初め平氏を自称するが、近衛家の猶子となり藤原氏に改姓した後、豊臣氏に改めた。
尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれたとされる。
当初、今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を現した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、信長の孫・三法師を擁して織田家内部の勢力争いに勝ち、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き、関白・太政大臣に就任し、豊臣姓を賜り、日本全国の大名を臣従させて天下統一を果たした。天下統一後は太閤検地や刀狩令、惣無事令、石高制などの全国に及ぶ多くの政策で国内の統合を進めた。理由は諸説あるが明の征服を決意して朝鮮に出兵した文禄・慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康ら五大老に託して病没した。秀吉の死後に台頭した徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利して天下を掌握し、豊臣家は凋落。慶長19年(1614年)から同20年(1615年)の大坂の陣で豊臣家は江戸幕府に滅ぼされた。

◆天下統一を果たした。秀吉の食生活、「病」とは?


[竹久夢二 1884-1934

数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれ、大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともある。また、児童雑誌や詩文の挿絵も描いた。文筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創作しており、なかでも、詩『宵待草』には曲が付けられて大衆歌として受け、全国的な愛唱曲となった。また、多くの書籍の装幀、広告宣伝物、日用雑貨のほか、浴衣などのデザインも手がけており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けのひとりともいえる。

◆大正ロマンの美人画家で知られる竹久夢二の「病」とは・・・・?

[夏目漱石 1867-1916]

大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めた後、イギリスへ留学。帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。
その後朝日新聞社に入社し、「虞美人草」「三四郎」などを掲載。当初は余裕派と呼ばれた。「修善寺の大患」後は、『行人』『こゝろ』『硝子戸の中』などを執筆。「則天去私(そくてんきょし)」の境地に達したといわれる。晩年は胃潰瘍に悩まされ、「明暗」が絶筆となった。

◆明治時代の文豪 漱石の闘病生活とは?

[正岡子規 1867-1902

俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人であった。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。
明治の文豪の知られざる「病」との闘いとは・・・・・・?!

【番組登場の専門医】

若林利光先生 (脳外科・神経内科・放射線科、※徳川家康部分専門)
高橋正雄先生 (精神科医、※夏目漱石部分専門)
亀井眞樹先生 (神経内科医、※医療全般担当)

【番組登場の研究家】

小和田哲男先生 (※徳川家康専門家)
小森陽一先生 (※夏目漱石専門家)
小嶋ひろみ (夢二郷土美術館館長代理)
大谷義夫先生 (池袋大谷クリニック院長)