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初回放送日:2015年7月18日(土)

萩原健一(俳優)

日本の芸能界において、唯一無二の存在として一時代を築いたカリスマ萩原健一。ボーカリストとして、俳優として常に尖った刃のような存在感を放ち、多くのファンを魅了してきた。一癖も二癖もあると言われる萩原健一。南青山の老舗ライブハウスでインタビューは行われた。

負けん気の強かった中学生の萩原は、ダイケンと呼ばれる高校生の大番長、そしてチューケンと呼ばれる副番長にもケンカで一歩も引かなかった。彼等はその勇気を認め萩原を「ショーケン」と任命。萩原健一のショーケンとしての人生が始まる。

1967年、GSブームの最盛期に萩原は、ザ・テンプターズのボーカリストとしてデビューする。しかし、アイドル的な扱われ方に不満を持ち、その活動の場を映画やドラマの世界に求めていく。俳優ショーケンを人々に鮮烈に焼き付けたのは、1972年のTVドラマ「太陽にほえろ」。新人刑事マカロニに扮した萩原の存在感は圧倒的であり、その殉職シーンはTVドラマ史上屈指の名シーンとなった。その殉職シーンのウラ話、そして石原裕次郎との思い出を萩原は語る。
続いて放送された「傷だらけの天使」は主演の萩原を始め、監督やカメラマンといった、現場スタッフの低予算を逆手にとったアイデアの上に成り立っていたと言う。何故、水谷豊演じるあきらの入れ墨は金魚だったのか?何故BIGIの衣装を着ていたのか?今あかされる伝説のドラマの舞台裏。
「ショーケン」という存在は、日本の映画界においても無くてはならないものである。中でも黒澤明監督の「影武者」は萩原にとって印象深い。馬に乗り海岸沿いを疾走するシーンで馬もろとも転倒し海に投げ出された時、「馬は大丈夫か?」と言った黒澤監督。「アタマきたよ!」と笑いながら萩原は振り返る。

しかし、萩原の人生は栄光ばかりではない。様々な事件で世間を騒がせ、仕事を干された日々もあった。そんな彼が懺悔のために選んだ手段は、四国八十八箇所を巡るお遍路。都会を離れ白衣に身を包み、ひたすら歩き続ける日々。16歳で芸能界に入り、その奔放なキャラクターでカリスマ的な存在となった萩原健一、お遍路という修業は彼に、本来人が持つべき心を教えてくれたと言う。

2011年にモデルの富田リカと結婚。今年は夫婦揃ってモルジブの親善大使にも任命された。萩原は青い空と海の素晴らしさに感動し、環境問題に力を入れていきたいと言う。

やんちゃな不良だった男がまもなく65歳という年齢になる。しかし彼は最後に言う。「今、新しい映画の脚本を書いているんだ。何かやりたいなら自分で動かないとね」