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#304

松原智恵子(女優)

ゲスト×インタビュアー
松原智恵子(女優)×ヤン ヨンヒ(映画監督)

女優になったきっかけは、日活の「ミス16歳コンテスト」。美人姉妹として知られていた姉たちが、各地のミスコンに応募し、たくさんの賞品をもらって帰宅するのを見ていた松原は、自らもミスコンに挑戦。賞品の“東京見物”も松原にとって魅力的だったという。このころの将来の夢は、キャビンアテンダント。そのため、東京の大学へ進学し、英語を勉強することを心に決めていた。その目的の一歩が、賞品の東京行きだったのだ。そして、「ミス16歳コンテスト」で見ごと入賞。結果、東京へは行ったものの進学はせず、日活に声を掛けられて、女優の道へ進むことを決めた。
1961年、女優としてデビュー。当時は日本映画の黄金期。松原より一足早く日活に入った日活ニューフェイスの一期生、宍戸錠さん。「太陽の季節」で鮮烈デビューを果たした石原裕次郎さん。大学在学中にスカウトされた、渡哲也さん…。日活の看板女優として、松原はそうそうたる俳優陣と共演するようになっていく。特に、共演数が多かった渡哲也さん、宍戸錠さんとの共演秘話とは?
1960年代後半、世の中の風潮が映画からテレビへと移行すると、松原はいち早くテレビを舞台に活躍するように。それが、彼女の人気をさらに押し上げた。レコードデビューも果たし、このころには1日100枚のファンレターが届くようになっていた。ファンレター整理のため、郵便局内の整理棚のような都道府県別に仕分けできる棚を自宅に作ったというほど。吉永小百合さんとの視聴率競争が繰り広げられていたのも、このころ。当時の松原の思いとは?
27歳で結婚。お相手はジャーナリストの黒木純一郎さん。22歳の時に雑誌の密着取材で知り合い、5年後に結婚した。新婚旅行は、アフリカ大陸横断100日! 車2台で、サハラ砂漠など、アフリカ各地を走破したという。海外旅行が今ほどメジャーではなかった1ドル365円の時代に、松原が経験した旅の思い出とは?
これまでに、130本以上の映画に出演してきた松原。映画「ゆずの葉ゆれて」では、ソチ国際映画祭主演女優賞を受賞。さらに今年、第71回毎日映画コンクールで、田中絹代賞を受賞した。日本映画の黄金期を支え、55年間、女優として第一線で活躍してきた松原智恵子の女優魂と、知られざる素顔に迫る!